― ふわっとした漢方に、薬剤師が意味を与えるということ
はじめに
「この抑肝散って効いてるんですかね…?」
施設での在宅訪問中、介護スタッフからそんな声をかけられたことはないでしょうか。
認知症に伴う行動・心理症状(いわゆるBPSD)に対して、“穏やかになる漢方”として広く使われている抑肝散。
しかし実際には、効果がはっきりしない、長く使っているのに変化が感じられない、いつ中止すべきか分からない……そんな“ふわっとした薬”として扱われがちです。
この記事では、抑肝散という薬の背景と成り立ちをふまえつつ、薬剤師としてこの薬をどう「見える化」し、現場に貢献できるかを掘り下げていきます。
抑肝散の歴史 ― 怒りとたたかう、こども向けの処方だった?
抑肝散という名前には、そもそも「肝(かん)のたかぶりを抑える」という意味が込められています。
東洋医学では、感情の高ぶりや怒り、不眠、神経過敏などは“肝の失調”と捉えられており、それを鎮めるのがこの薬の役割でした。
そのルーツは明代の小児医学書『保嬰撮要』にまでさかのぼります。
そこでは、ひきつけや夜泣き、怒りっぽさなど、いわゆる「かんしゃく」への対応として記されています。
日本では江戸時代の漢方医・吉益東洞がこの薬方を再評価し、小児の神経症的な症状に有効としました。
つまり、抑肝散は元々「こどもの情緒の暴発」に対する薬だったのです。
やがて現代に入り、この「神経のたかぶりを穏やかに鎮める」効果が、高齢者のBPSDにも通じるとして応用されるようになりました。
その意味で抑肝散は、非常に長い時をかけて適応を変化させてきた“古くて新しい薬”とも言えます。
抑肝散は何に効く?BPSDとの関係
現在、抑肝散は保険適応外でありながら、BPSDに対してよく使用される漢方薬です。
怒りっぽさや興奮、夜間の不眠やせん妄傾向など、比較的軽度〜中等度の症状に使われることが多く、
その穏やかな効き方から、抗精神病薬よりも副作用が少ない代替的手段として期待されています。
ただし、幻覚や妄想が主症状であるようなケースでは、十分な効果が得られないこともあり、
使いどころを誤ると「効かない漢方」という誤解を生みかねません。
「効いてるのか分からない」問題の正体
現場でよく耳にする「なんか効いてるのか分からなくて…」という言葉。
この悩みは、単に薬の効果が弱いからではなく、評価の軸が曖昧なことに原因があります。
たとえば、何をもって「効いた」と判断すればいいのか、処方意図と観察視点がずれていないか、
現場スタッフの目線と薬剤師の目線に食い違いがないか──。
このようなズレをそのままにしておくと、薬の真価は現場に伝わりません。
だからこそ、薬剤師が「この薬はこう効かせたい」というゴールを言語化し、評価方法を整理することで、
“ふわっとした薬”を“意味ある薬”に変えることができるのです。
効き目を“見える化”する薬剤師の技術
まず大切なのは、「何のためにこの薬を使っているのか」を明確にすることです。
抑肝散の場合は、怒りっぽさや落ち着きのなさ、夜間の不穏など、情動の過剰反応に対して処方されることが多い。
一方で、幻視や被害妄想といった精神病症状そのものに直接働きかける薬ではありません。
たとえば、「夜になると毎晩怒鳴る」という患者が、「怒鳴る日が週に2、3回に減った」のであれば、これは明確な行動変化です。
また、「夕食後に部屋を徘徊していたのが、今は座っている時間が増えた」という観察も、薬の効果を示す重要なサインになります。
感覚ではなく、行動でとらえるという視点をチームで共有することが、評価の“見える化”につながります。
さらに、変化がないことにも価値があります。
BPSDは進行性であるため、むしろ現状を維持できているということが、薬によって症状の進行を抑えられている証拠かもしれません。
薬剤師が「どんな変化があれば“効いている”といえるか」「変わらないとは、悪いことなのか」を定義し直すこと。
それこそが、漢方の“あいまいさ”に意味を与える、薬剤師ならではの技術なのです。
評価視点をスタッフと共有することの意味
薬剤師として、観察のポイントを介護職の方々に伝えることは、何よりも大切です。
「この薬は怒りっぽさや興奮が落ち着くかを見ていきましょう」とひと声かけるだけでも、
「最近怒鳴らない日が増えてきた気がします」といった反応が得られる可能性が高まります。
つまり、薬の効果を“説明する”だけでなく、
“どう観察していくか”までを伝えるのが薬剤師の役割であるということ。
この一言が、処方評価や継続判断の質をぐっと高めてくれます。
見直しのタイミングを見極める
もちろん、すべてのケースで抑肝散がうまく使われるわけではありません。
たとえば、症状の性質が薬のターゲットとずれていたり、
実は服薬がきちんとできていなかったり、
知らぬ間に漫然と長期投与になっていたりすることもあります。
また、抑肝散には体質によって便秘や食欲不振といった副作用が出ることもあり、
そのリスクとベネフィットを天秤にかけたうえで、薬剤師が見直しを提案することも大切です。
“長く使われているから大丈夫”ではなく、“今の症状に本当に合っているか”という視点で見直すこと。
それが、処方提案の質を底上げする一歩になります。
まとめ
抑肝散は、もともと小児の“情緒の暴走”に処方されていた薬が、時を超えて高齢者のBPSDにも応用されるようになった、ユニークな漢方薬です。
「ふわっとした薬」に見えるかもしれませんが、薬剤師の視点によって“効いているかどうか”を行動で見える化することができます。
変化があってもなくても、その意味をきちんと評価し、現場と共有することが、薬剤師の本領発揮の場となります。
そして、「何を見ればいいのか」を一言添えるだけで、処方の意味もチームの連携も、驚くほど変わっていくはずです。
読者への問いかけ
今日あなたが関わる抑肝散の患者さん。
その“効果の見えづらさ”に、誰かが困っているかもしれません。
そのとき、「効き目をどう見ればいいか」まで伝えられる薬剤師でありたい。
ふわっとした薬に意味を与えるのは、現場の一言です。
その一言を届けられるのが、薬剤師なのだと私は思います。
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