怒り、徘徊、幻覚にどう向き合うか ― BPSD治療の進化史【認知症まずはここからpart.5】

認知症

本人にとっても家族にとってもつらい「周辺症状」。
本回では、抗精神病薬の功罪、非薬物療法の発展、そして日本ならではの漢方利用までを紹介します。

BPSDに対する治療と非薬物的アプローチの歴史

認知症ケア最大の悩みの種であるBPSD(周辺症状)への対応はどのように進化してきたのでしょうか。

BPSDとは認知症に伴う行動・心理症状(Behavioral and Psychological Symptoms of Dementia)の略で、具体的には興奮、攻撃性、徘徊、不眠、幻覚妄想、抑うつ、失禁など多岐にわたります。
これらの症状は本人の苦痛になるだけでなく、介護者の大きな負担となり得るため、古くから対策が模索されてきました。

薬物療法の歴史としては、前述のように1950年代以降に登場した抗精神病薬(向精神薬)がまず用いられるようになりました。
ハロペリドールなどの従来型抗精神病薬は強力に幻覚や興奮を鎮める効果があるため、認知症患者の暴力行為や不穏に対し「即効性の鎮静剤」として投与されることが多かったのです。

しかしこれらの薬は錐体外路症状(ふるえや硬直)など副作用も強く、長期使用で廃用症候群(意欲低下・寝たきり)の懸念もありました。

1990年代にはリスペリドンやオランザピンなど非定型抗精神病薬が開発され、従来薬より錐体外路症状が少ないとして2000年前後から認知症の興奮・攻撃症状にも処方されるようになりました。

しかし2005年、FDA(米食品医薬品局)は「認知症患者への抗精神病薬投与は死亡リスクを上昇させる」との警告を発し、全ての抗精神病薬に黒枠警告が付けられました。
実際、抗精神病薬投与群は脳卒中や感染症による死亡率がプラセボ群より有意に高いとのメタ分析結果が出ています。
この報告を受け世界的に認知症領域での向精神薬使用は慎重になり、可能な限り非薬物的アプローチでBPSDに対処するのが原則となりました。

非薬物的アプローチの歴史も振り返ってみましょう。
20世紀後半から、薬に頼らない認知症ケアの手法が次々と考案されてきました。

その代表例が1960年代に米国で始まったリアリティ・オリエンテーション(現実見当識訓練)です。
これは見当識障害のある患者に繰り返し今いる場所や日時を教える手法ですが、押し付けがましい面もあり賛否が分かれました。

続いて1980年代にはヴァリデーション療法がナオミ・ファイルによって提唱されます。
これは患者の訴えや感情を否定せず受け入れるコミュニケーション法で、「現実と異なる発言をしても訂正せず傾聴する」ことで安心感を与えようというものです。
この手法は日本の介護現場にも紹介され、認知症高齢者との関わり方に大きな影響を与えました。

また1990年代には英トム・キットウッドが**パーソン・センタード・ケア(人中心のケア)**を提唱し、認知症の人の「その人らしさ」を尊重するケア哲学が広まりました。
この流れの中で、BPSDは「患者本人と環境・周囲との相互作用で生じるもの」と捉えられるようになり、環境調整や刺激緩和によってBPSDを予防・軽減するアプローチが重視されます。

具体的な非薬物療法も数多く試みられてきました。
音楽療法はその代表で、なじみの歌を一緒に歌ったり演奏を聴かせたりすることで興奮や不安を和らげます。
回想法(昔の写真や道具を見せて思い出を語ってもらう)も認知症ケアの定番で、記憶を刺激しつつ穏やかな情緒を引き出す効果があります。
ほかにも人形や動物を用いたセラピー(赤ん坊の人形を抱かせると落ち着くケースや、セラピー犬・ロボット介護ペットとの触れ合いによる癒し効果)、アロマやタッチングなどの感覚刺激療法、さらには回想法を発展させた「昔の街並みを再現した認知症カフェ」のような環境療法まで、各国で様々な取り組みが行われています。

エビデンスの質は玉石混交ですが、メタ分析では音楽療法や行動療法に一定の有効性が認められたとの報告もあります(周辺症状全般の軽減に寄与)。
重要なのは、本人の好きなこと・得意なことを生かし、ストレス要因を減らすよう個別化することだとされています。

日本においてユニークなのが漢方薬の活用です。
中でも抑肝散(よくかんさん)は江戸時代から伝わる漢方処方で、もともとは小児の夜泣きや癇の虫(かんしゃく)を鎮める目的で生まれたという逸話があります。
現代では「認知症による怒りっぽさ・興奮に効く穏やかな漢方」として抑肝散が広く用いられており、日本ならではのBPSD対策と言えるでしょう。
実証研究も進んでおり、抑肝散投与群で攻撃行動が軽減したとの報告もあります。
ただし効果の感じ方には個人差が大きく、「効いているのかはっきりしない」「漫然と使い続けているが中止のタイミングが難しい」といった声もあり、漢方特有のマイルドさゆえの悩みもあります。

総じて、BPSDへの対応は**「まず非薬物療法、どうしてもの時に最小限の薬物療法」という現代的なスタンスに落ち着いています。
抗精神病薬や睡眠薬を使う場合も、可能な限り短期間・低用量で、副作用に細心の注意を払います。
薬剤師の立場では、処方意図を汲みつつ現場スタッフや家族への助言(例えば「眠前のミュージックセラピーを提案」「攻撃的な時間帯を共有し環境調整を図る」等)を行うことが求められます。

BPSD治療の歴史は即ちケアの質の向上の歴史**とも言えます。
認知症の人ができるだけ安寧に過ごせるよう、薬とケアのバランスを模索する取り組みが今後も続くでしょう。


「暴れるから薬」ではない時代へ──BPSDへの理解と対応は今も進化を続けています。
次回は、治療の最前線へ。アルツハイマー病の進行を“抑える”抗体薬の現在地を見ていきましょう。

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※本記事は薬学生および薬剤師など、医療関係者を対象とした教育・学術目的の情報提供です。医薬品の販売促進を目的としたものではありません。
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