毒から薬へ(マスタードガス由来の薬誕生)
意外なことに、抗がん薬の歴史は戦場の「毒ガス」から始まります。第一次世界大戦で使用された化学兵器・マスタードガス(イペリット)は猛毒の毒ガスですが、その曝露を受けた兵士たちに白血球の激減が起きたことが報告されました 。白血球は分裂の盛んな細胞であり、この現象は「細胞の分裂を抑える」ヒントとなりました。第二次大戦中の1943年末、イタリア・バーリ港で連合軍の弾薬船が爆撃され、大量のマスタードガスが流出する事故でも、被災兵士の多くに白血球減少と骨髄抑制が起こり、数日後から感染症で亡くなる人が続出しました 。この悲劇的な観察がきっかけとなり、マスタードガスの毒性を逆手に取ってがんを治療できないかと考えられたのです。
戦時中に密かに研究が進められ、戦後まもない1946年頃、ナイトロジェンマスタード(窒素を含むマスタードガス誘導体)が白血病や悪性リンパ腫に初めて試されました 。当時、がんの治療法は手術か放射線療法しかなく、これが史上初めて登場した「薬による治療」でした 。毒ガス由来の物質が、皮肉にも抗がん剤(ケモセラピー)の第一号となったのです。
このナイトロジェンマスタードはアルキル化薬と呼ばれる一群の抗がん薬の元祖で、その後毒性を抑えた誘導体が開発されました。例えばシクロホスファミドはその代表で、マスタードガスの構造を応用して作られたアルキル化薬ですが、現在でもリンパ腫や乳がんをはじめいくつかのがんで広く使われている古典的抗がん剤です 。こうして「毒を薬に変える」というドラマチックな幕開けを経て、がん化学療法の歴史が始まりました。
細胞毒性薬の時代(抗代謝薬・アルキル化薬・白金製剤)
ナイトロジェンマスタードの成功を皮切りに、1950~60年代にかけて細胞毒性(殺細胞性)抗がん薬が次々と開発され、がん治療の中心となっていきました。当時開発された薬剤群は、いずれもがん細胞の増殖を直接ストップさせることを狙ったものです。その作用機序は様々ですが、大きくいくつかのタイプに分類できます。
まず、先述のアルキル化薬です。アルキル化薬はDNAにアルキル基を結合させて遺伝情報の複製を妨害する薬で、シクロホスファミドの他にもメルファランやイホスファミドなど多数が登場しました。この系統は細胞周期に関係なくDNAを傷つけるため強力ですが、副作用として骨髄抑制なども強く現れます。
次に登場したのが抗代謝薬です。これは細胞が増殖する際に必要な物質(核酸や葉酸など)とよく似た構造を持つ偽の材料を細胞内に送り込み、DNA合成を邪魔する戦略でした。その代表例がメトトレキサート(葉酸拮抗薬)や6-メルカプトプリン、そして5-フルオロウラシル(5-FU)です 。1950年代後半から60年代前半にかけてこれらが相次いで開発され、白血病や消化器がんなどの治療に使われ始めました 。抗代謝薬の登場により、小児白血病で一時的とはいえ寛解が得られるようになるなど、化学療法の可能性が広がりました。
さらに抗腫瘍性抗生物質もこの時代に加わります。抗生物質研究が盛んだった1950~60年代には、細菌を殺す抗生物質とは別に、がん細胞を殺す抗生物質が見つかったのです。日本初の抗がん薬となったマイトマイシンC(1956年発見)や、ブレオマイシン(1963年発見、1968年承認)はいずれも放線菌由来の抗生物質で、DNAを切断したり分裂を阻害する作用を持ちます 。またイタリアで発見されたアントラサイクリン系抗生物質のドキソルビシン(1960年代後半に開発)も、幅広いがんに効果を示す強力な薬剤として加わりました。これら抗生物質系の薬は作用メカニズムが独特で、多様な手段でがん細胞を攻撃できるようになりました。
1960年代には植物由来の抗がん剤も誕生します。ニチニチソウから発見されたビンクリスチンやビンブラスチンは微小管という細胞分裂装置を邪魔して細胞分裂を停止させる薬です 。これら植物アルカロイド系の薬剤は、白血病やリンパ腫の治療で大きな威力を発揮し、後の多剤併用療法の重要な構成要素となりました。
こうして1960年代までに、主要な細胞毒性抗がん薬の“型”は出揃ったと言えます 。実際、1990年代初頭までの標準的ながん薬物療法は、「アルキル化薬・抗代謝薬・抗生物質・植物アルカロイド」といった殺細胞薬に、ホルモン療法や免疫賦活薬(インターフェロンなど)を加えた組み合わせでした 。1970年代には白金製剤の登場も見逃せません。シスプラチン(1978年承認)は金属プラチナを含む化合物で、DNAに結合してその複製を妨げます 。このシスプラチンは、転移精巣腫瘍(いわゆる進行した精巣がん)に劇的な効果を示し、それまで不治とされた病態で多数の患者が治癒するという飛躍的成果をもたらしました。「白金系」の薬剤はその後カルボプラチン(第2世代)、オキサリプラチン(第3世代)へと改良され、固形がん治療の柱の一つとなっています 。
このように、細胞毒性薬の時代には様々な機序で細胞増殖を止める薬が次々開発され、多剤併用療法(レジメン)が工夫されました。抗がん剤同士を組み合わせて同時に攻撃することで耐性を克服し、ホジキンリンパ腫や小児白血病での長期生存率向上など治療成績の飛躍的な向上が見られました。 一方で、これら古典的抗がん剤は正常細胞まで傷つける非選択性ゆえに、副作用も非常に強烈でした。吐き気や脱毛、骨髄抑制による感染症や貧血など、患者にとって治療そのものが過酷な試練となったのです。しかし、「がん細胞を根絶するためには副作用と戦ってでも叩く」——この時代の抗がん剤治療は、まさに激烈な毒をもってがんを制する時代だったと言えるでしょう。
分子標的薬革命(イマチニブ、トラスツズマブ、EGFR阻害薬)
1990年代の終わり頃から、抗がん薬は新たな局面を迎えます。それが分子標的薬の登場です。従来の抗がん剤が「がん細胞の分裂」そのものを無差別に攻撃していたのに対し、分子標的薬はがん細胞だけが持つ特定の分子の異常を狙い撃ちすることを目指した画期的なアプローチでした。
実はこの発想に至る伏線として、1980年代から**「がん関連分子」を標的にする研究は始まっていました。1980年代初頭にはマウスの単クローン抗体で腫瘍抗原を攻撃する試みがなされましたが副作用などで成功せず、その後人の抗体に近づけたキメラ抗体が開発されます 。1997年、世界初の抗体医薬となるリツキシマブ**(抗CD20抗体)が登場し、B細胞性リンパ腫の治療で高い奏効を示しました 。これはがん細胞表面の分子をピンポイントで狙う治療の幕開けでした。
そして決定的だったのが、低分子の分子標的薬の成功です。1990年代末、がん細胞内の特定のタンパク質の暴走を止める薬が臨床投入され始めました 。中でも有名なのがイマチニブ(商品名グリベック)です。イマチニブは慢性骨髄性白血病(CML)の原因であるBCR-ABLチロシンキナーゼという異常タンパク質をピンポイントで阻害し、がん細胞の増殖シグナルを止めます。2001年に米国FDA承認されると驚異的な効果を発揮し、CMLの予後を劇的に改善しました 。従来は骨髄移植以外に治癒が望めなかった白血病が、1日1錠の内服薬でコントロール可能な慢性病になるというまさに革命的成果で、これによって「分子標的薬」の概念が一躍脚光を浴びたのです 。
続いて、固形がんに対する分子標的治療も花開きます。代表的なのがトラスツズマブ(商品名ハーセプチン)です。1998年に承認されたこの薬は、乳がん患者の20%で過剰発現しているHER2という受容体タンパクを標的とするヒト化抗体です。HER2陽性乳がんは予後不良でしたが、トラスツズマブを併用することで転移乳がんの生存期間を大きく延長できることが示され、乳がん治療に新たな扉を開きました。また、肺がん領域ではEGFR遺伝子変異という特定の変化を持つ患者に画期的な効果を示す薬剤が現れます。2000年代前半に登場したゲフィチニブ(イレッサ)やエルロチニブといったEGFRチロシンキナーゼ阻害薬は、一部の肺がん患者で腫瘍を劇的に縮小させ、「夢の新薬」と報道されました。後に効果のある患者群にはEGFR変異という分子マーカーがあることが判明し、まさに患者ごとにオーダーメイドな治療が現実となったのです。
このような分子標的薬の成功により、「がん細胞だけを狙い撃ちして副作用を減らす」という理想が一気に現実味を帯びました。事実、分子標的薬は最大耐用量ではなく最小有効量で投与できるケースも多く、従来より毒性が少ないことが期待されました 。例えば抗EGFR薬であるゲフィチニブは従来型の化学療法より骨髄抑制が軽く、飲み薬として自宅で治療継続できるメリットもありました。しかし、その一方で新たな副作用も明らかになっています。EGFR阻害薬で予期されていなかった間質性肺炎が発生するなど、決して「副作用ゼロ」ではないことも分かってきました 。それでも、分子標的薬の登場ががん治療にもたらした恩恵は計り知れません。今では**「○○チニブ」「○○マブ」と名前が付く新薬が次々登場し、血液がんから固形がんまで幅広い領域で患者さんの予後を改善しています。21世紀に入ってからの約20年で、がん治療は「効けば劇的に効く」時代**に突入したと言えるでしょう。
免疫療法の衝撃(ニボルマブ、ペムブロリズマブなど)
分子標的薬の革命に続いて、がん治療にもう一つの革命が訪れます。それががん免疫療法の躍進です。2010年代に入り、免疫チェックポイント阻害薬という新しいクラスの薬が登場すると、世界中の腫瘍内科医に衝撃を与えました。免疫チェックポイント阻害薬とは、簡単に言えばがん細胞にブレーキをかけられていたT細胞(免疫細胞)のブレーキを解除し、自己の免疫でがんを攻撃させる薬です 。従来から「免疫の力でがんを治す」研究は存在し、インターフェロンやIL-2療法、がんワクチンなど試みられてきましたが、効果が限定的で「がん免疫療法は夢物語」とさえ思われていました。しかし、チェックポイント分子(PD-1やCTLA-4)の発見によって流れが一変します。
2011年に抗CTLA-4抗体のイピリムマブが悪性黒色腫(メラノーマ)に承認され、これまで延命効果が乏しかった進行メラノーマで生存曲線に“尾”が現れる(長期生存者が出現する)ことが報告されました。さらに2014年には抗PD-1抗体のニボルマブ(オプジーボ)とペムブロリズマブ(キイトルーダ)が登場します。日本でもニボルマブは2014年に悪性黒色腫で承認され、その後肺がんや腎がんなど適応拡大が進みました。これら免疫チェックポイント阻害薬は、それまでの常識では考えられなかった様々ながん種で効果を示し、一部の患者を寛解・治癒に導くことが確認され、まさに画期的な治療法となりました 。そのインパクトの大きさから、米『Science』誌は2013年に「がん免疫療法」をBreakthrough of the Year(その年の最大のブレイクスルー)に選出したほどです。2018年には、免疫チェックポイントの分子機構を解明し治療に応用した功績により、京都大学の本庶佑特別教授と米国のジェームズ・アリソン博士にノーベル生理学・医学賞が授与されました 。本庶教授の研究から生まれたニボルマブは、日本発の画期的新薬として社会的にも大きな注目を集め、「あらゆるがんに効果を示しうる治療法」「がん治療のゲームチェンジャー」と評価されています 。
免疫療法のユニークな点は、病気と闘う主役が「薬そのもの」ではなく患者さん自身の免疫であることです。そのため、効果が持続すれば治療終了後もがんがコントロールされる可能性があります(実際、長期寛解例が報告されています)。一方、副作用もこれまでの抗がん剤と様相が異なります。免疫のブレーキを解除することで、自己免疫疾患のような副作用(重篤な皮膚症状や大腸炎、内分泌障害など)が起こり得ます 。そのため投与後は従来以上に綿密なモニタリングが必要ですが、それでも**「治癒も夢ではない」**という希望は大きく、現在も多数の臨床試験が進行中です。「免疫療法の時代」はまだ始まったばかりであり、今後さらに多くのがん種・患者さんがこの恩恵に浴すると期待されています 。
現代とこれから(CAR-T、個別化医療、分子マーカー、薬剤師の役割)
2020年代の現在、がん薬物療法はさらに新たな段階を迎えようとしています。ひとつは細胞そのものを薬にする治療の台頭です。その代表がCAR-T細胞療法でしょう。CAR-T(カーティー)療法では、患者さん自身のT細胞を取り出し、遺伝子工学的に改造して「がん細胞を見つけ次第攻撃する」人工受容体(CAR)を発現させます 。この改造T細胞を体内に戻すことで、患者さん自身の免疫細胞が生きた抗がん剤となってがん細胞を攻撃するのです 。2017年に米国で世界初のCAR-T療法製剤キムリア(チサゲンレクルユーセル)が承認され、難治性の小児白血病に驚異的な効果を示しました 。日本でも2019年に承認され話題となりましたが、1回の投与で数千万円という治療費も含め次世代のがん治療として注目を集めています 。CAR-T療法は現在、白血病・リンパ腫といった血液がんで成果を上げていますが、固形がんへの応用や、より手軽で安価な細胞療法の研究開発も進んでいます。まさに**「第4の治療の柱」**としての細胞・遺伝子療法が現実のものとなりつつあります 。
また、現代のがん治療でもう一つ重要なキーワードが**「個別化医療」です。分子標的薬や免疫療法の登場により、患者さん一人ひとりのがんに最適な治療を選択する時代になりました。例えば、同じ肺がんでも患者ごとに遺伝子変異の有無を調べ、EGFR変異があればEGFR阻害薬を、ALK融合遺伝子があればALK阻害薬を、免疫マーカー(PD-L1)が高発現なら免疫薬を――という具合に分子マーカーに基づく治療選択**が標準となっています。術後補助療法や再発予防の領域でも、がんの遺伝子プロファイルを解析して再発リスクを評価したり、薬剤感受性を予測したりする試みが行われています。まさにがん治療は画一的なプロトコルから、オーダーメイド医療へと転換しつつあるのです。将来は患者さんごとのがんワクチン作製や、AIを活用した最適レジメンの提案なども期待されており、「がん医療のパーソナライズ化」は今後さらに深化していくでしょう。
このように治療の選択肢が飛躍的に増え高度化する中で、薬剤師の果たすべき役割も大きく変化・拡大しています。かつて薬剤師の仕事は「処方せんに基づき調剤し、薬の効果や飲み方を説明する」というイメージが強いものでした 。しかし現在では、がん治療において薬剤師はチーム医療の中核として活躍することが求められています。日本では2006年の「がん対策基本法」施行を機に、腫瘍薬物療法の専門知識を持つ薬剤師の育成(認定薬剤師制度など)が本格化しました 。専門研修を受けた薬剤師は、患者さんへの服薬指導のみならず、レジメンの管理や副作用モニタリング、医師への提言など幅広い役割を担っています。例えば、分子標的薬は併用薬との相互作用や服薬アドヒアランス管理が重要であり、薬剤師が適切に介入することで治療効果を最大化できます。また免疫療法では副作用の初期兆候を見逃さずキャッチし、早期対応につなげる教育的支援が薬剤師に期待されています。調剤室から病棟、外来まで薬剤師が積極的に関わることで、安全で質の高いがん薬物療法を実現することができるのです 。
最後に――抗がん薬の歴史を振り返ると、それは**「毒を薬に」転じた創意工夫に始まり、次々と新たな発見と発明で治療の地平を切り拓いてきた物語**でした。古典的な細胞毒から生体分子を狙うスマートな薬へ、さらに自己免疫や細胞そのものを用いる最先端医療へと、がん治療はめまぐるしく進化しています。私たち薬剤師は、この歴史を知ることで今何が求められているかを理解し、未来の医療を支える一翼を担うことができるでしょう。がんと闘う患者さんに寄り添い、最適な薬を安全に届ける――そのために、抗がん薬の歩みを語れる薬剤師でありたいものです。
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