浮腫と戦う薬たち ― 利尿薬の進化が変えた臨床

薬剤師が語る-薬の歴史と-治療戦略の変遷 心不全
薬剤師が語る-薬の歴史と-治療戦略の変遷

古代〜近代の「利尿」の工夫

むくみ(浮腫)を取る工夫は古代から試みられてきました。古代エジプトやギリシャ、インドの医師たちは心不全の症状を「水腫」(dropsy)と捉え、余分な体液を減らすために瀉血(写血)などの療法を行っていた記録があります。中世ヨーロッパでも身体の水分バランスを整える工夫は続き、16世紀にはパラケルススが無機水銀を用いて利尿を促し心不全(当時の水腫)の治療を試みたとされています。しかし水銀製剤は確かに強力な利尿効果を発揮したものの、その毒性ゆえに実用は困難でした。副作用(腎障害や中毒)の問題から、当時の水銀利尿薬は「劇薬」として恐れられたのです。ちなみに、水銀系利尿薬は19世紀には注射剤(メルサレチルなど)として用いられましたが、効果は大きくとも副作用の多さが普及の障壁になったといいます。のちに製剤改良で皮下注も可能になり、経口型(水銀化合物を含むコーテッド錠など)も開発されましたが、それでも安全性の問題はつきまといました。

一方、17世紀にはウィリアム・ハーヴェイが血液循環の原理を提唱し、浮腫の原因が心臓にあること(心不全の概念)が理解され始めます。この流れの中で18世紀後半、1785年にイギリスの医師ウィリアム・ウィザリングが民間療法から得た知見をもとにジギタリス(ゴージャスの葉:強心配糖体)を心不全治療に導入しました。ジギタリスには強心作用で腎血流を改善し利尿を促す効果があり、「水腫」に劇的な効果を示したのです。ウィザリングは多くの症例で慎重に効果を観察し、ジギタリス投与により尿量が増えて浮腫が改善する様子を記録しています。この発見以降、19世紀にかけて「強心薬ジギタリス+利尿薬(水銀など)」が心不全治療の主流となり、「余分な水を出す」ことが治療の軸となりました。しかし、それでも重症の浮腫には限界があり、当時の医師たちは血letting(瀉血)や下剤のほか、Southey管(サウシーの管)と呼ばれる細い管を皮下に挿入して足の浮腫液を物理的に排出するという荒療治さえ行っていました 。19世紀末に英国の医師レジナルド・サウシーが考案したこの方法は、浸潤麻酔下で足に小さな管を刺して数時間かけて滲出液を抜くというもので、苦肉の策ながら「出せる水は出す」発想の極致だったと言えるでしょう。

20世紀に入ると、ようやく近代薬理学の進歩により新しい利尿薬の開発が本格化します。実は、その端緒となったのは「サルファ薬(磺胺剤)」の副次的な発見でした。1930〜40年代、抗菌薬として使われていたサルファ剤に利尿作用があることが偶然認められたのです。当時、それが炭酸脱水酵素(CA)阻害によるものと突き止めた研究者たちは、より強力な利尿を得るべく炭酸脱水酵素阻害薬(アセタゾラミドなど)を合成しました。しかしCA阻害薬自体の利尿効果は弱かったため、研究者たちは分子構造を改良しつつ、サルファ系化合物からさらなる有力候補を探索します。その過程で1950年代に生まれたのがサイアザイド系利尿薬(後述)であり、続いて1960年代前半にはループ利尿薬が開発されました。さらに別系統として、1950年代後半からはアルドステロンという体液調節ホルモンに着目した研究も進み、これを抑えることで利尿を得る抗アルドステロン薬のコンセプトが提唱されます。こうして20世紀中頃までに、今日につながる主要な利尿薬グループ(ループ利尿薬、サイアザイド系、カリウム保持性利尿薬)が出揃い、古典的な水銀剤は駆逐されていきました。1920年代以降めざましい進歩を遂げた利尿薬開発の歴史を経て、現代医療の現場では「利尿薬なしでは語れない」ほど重要な治療手段が確立されたのです。

ループ利尿薬の登場と臨床的インパクト(フロセミドを中心に)

1950年代後半から60年代にかけて、利尿薬開発は飛躍的なブレイクスルーを迎えます。その代表格がループ利尿薬の登場です。中でも最も有名なのがフロセミド(商品名ラシックス®)でしょう。フロセミドは米国メルク社で開発され、1959年に特許出願、1964年に医療使用が承認されました。当時すでに先行していたサイアザイド系利尿薬がありましたが、フロセミドはそれらを遥かに凌ぐ強力な作用から「高利得(high-ceiling)利尿薬」と呼ばれます。ヘンレループ(腎のループ部分)の上行脚に存在するNa⁺-K⁺-2Cl⁻共輸送体を阻害し、ナトリウム再吸収を一気にブロックすることで強烈な利尿を引き起こします。このメカニズムにより、フロセミドは体内の余分な塩分と水分を短時間で排泄させることが可能となりました。その効果の早さと確実さは画期的で、経口服用では約1時間以内に利尿が始まり作用は約6時間持続、静注では数分で効果発現する即効性が特徴です。商品名「Lasix(ラシックス)」は**“Lasts six (hours)”**=「効果が6時間持続する」に由来するという逸話があるほどで、薬名自体が作用時間を物語っています 。

フロセミド登場のインパクトは臨床現場で絶大でした。例えば急性心不全の現場では、肺水腫で呼吸困難に陥った患者に静脈注射でフロセミドを投与すると、数分で大量の尿が出始め肺うっ血が軽減されるという劇的な効果が報告されました。「水が溺れさせる(肺水腫)」状況から患者を救う切り札として、フロセミドの静注は今でも救急医療の定番です。その強力さゆえ、医師の間では「フロセミドは使い方によっては両刃の剣」とも言われます。確かに急激な利尿により低血圧や電解質異常を起こすリスクもあり、特に大量投与や急速投与では難聴(聴力障害)といった副作用も知られています。しかし適切に用いれば、フロセミドほど即効性に優れ症状改善に貢献する薬剤は他になく、まさに**「利尿薬の王様」**として君臨してきました。

臨床的なインパクトをさらに具体的に述べましょう。フロセミドが広く使われる以前、重症の浮腫に対しては前章で触れたような水銀剤や強心剤、そして座剤(浣腸)による利水など、効果も患者負担も大きな手段しかありませんでした。しかし1960年代以降はフロセミドの普及によって、安全域が比較的広く経口でも使える強力利尿薬が得られたのです。慢性心不全患者の慢性的な足の浮腫から、腎不全患者の難治性浮腫、肝硬変に伴う腹水のコントロールまで、フロセミドはあらゆる領域で「まず使ってみる」薬となりました。さらに高血圧においても、腎機能や心機能が低下している場合にはフロセミドなどループ利尿薬が用いられます(一般の高血圧患者では後述のサイアザイド系が基本ですが、心不全合併例などではループ利尿薬が選択肢となります)。このようにループ利尿薬の登場は臨床現場を一変させ、患者のQOLと予後改善に大きく寄与したのです。もっとも、後述するように利尿薬自体は症状改善に優れる一方で、心不全などの長期予後を単独で改善する薬剤ではありません。そのため現在では、利尿薬はあくまで「うまく使って患者の負担を減らす」サポート役であり、心不全の根本治療としては他の薬(β遮断薬やRAS阻害薬など)が主体となっています。実際、慢性心不全治療ではフロセミドの用量を可能な範囲で減らし、最新の予後改善薬であるARNIやSGLT2阻害薬等を併用する戦略が主流になりつつあります。その意味で「利尿薬だけではだんだん悪くなるのは防げない」という教訓は現代の合言葉でもありますが、急性期・症状緩和におけるフロセミドの価値は不変と言えるでしょう。

▶現場で語れるトリビア:フロセミド(ラシックス)にまつわる豆知識として、「ラシックス=6時間作用」の話題は有名ですが、もう1つ臨床で話題に上がるのはトラセミドとの比較です。トラセミド(トーシガ、ルプラック®など)はフロセミドと同じくループ利尿薬ですが、半減期が長く経口吸収も安定しているため、慢性心不全の維持療法ではフロセミドより有利ではないかと期待されています。いくつかの研究では、トラセミド投与群の方が心不全症状の改善や再入院率の低下につながる可能性が示唆されました(死亡率に差はないとの報告もあります)。2020年代にはフロセミド vs トラセミドの大規模比較試験も行われ、結果次第では処方の主流が変わるかもしれない、と話題になりました(※2023年の米国TRANSFORM-HF試験では有意差なしとの結果が報告されていますが、今後の検証に注目です)。このように、一口に利尿薬と言っても**「どのループ利尿薬を使うか」**で議論が起こるのも、フロセミド以来の長い歴史があるからこそでしょう。

サイアザイド系利尿薬と高血圧治療の変革(ALLHAT試験など)

フロセミドに先駆けて登場した利尿薬が、サイアザイド系利尿薬です。最初のサイアザイド系であるクロロチアジド(商品名デュリル®)は1957年に米国で発売されました。その誕生の経緯は興味深く、前章で述べた炭酸脱水酵素阻害薬(CA阻害薬)の開発中に偶然見つかった「副産物」でした。すなわち、より強力な利尿作用を求めてサルファ系化合物を改変していく中で、弱いCA阻害作用しか持たない代わりに強い利尿効果を示す化合物が見つかったのです。これがベンゾチアジアジン骨格を持つクロロチアジドで、以後この系統はサイアザイド系と呼ばれるようになりました。サイアザイド系利尿薬は腎臓の遠位尿細管に作用し、Na⁺-Cl⁻共輸送体を阻害することでナトリウムと水の再吸収を抑制します。利尿効果は中等度で、ループ利尿薬ほど劇的ではありませんが、そのぶん穏やかで持続的な作用が特徴です。特筆すべきは、高血圧患者においてこの適度な利尿作用が血圧降下に非常に有用だったことです。

実は1950年代以前、高血圧に対する有効な経口薬は限られており、重症高血圧には交感神経遮断薬(レセルピン)や血管拡張薬(ヒドララジン)など副作用の多い薬しかありませんでした。また当時は「高血圧は治療しても無駄」という風潮すらあり、多くの患者が脳卒中などに至っていました。しかしサイアザイド系の登場で状況が一変します。クロロチアジドは世界初の経口利尿降圧薬として大ヒットし、高血圧治療の第一選択薬となりました。「血圧を下げるために利尿薬を使う」という発想は最初こそ驚きをもって受け止められましたが、実際に投与すると体液量の減少によって確実に血圧が下がることが確認されました。さらに興味深いことに、サイアザイド系は長期使用で末梢血管の拡張作用も現れ、体液量が元に戻った後も血圧が下がり続ける現象が報告されました。これはサイアザイド系利尿薬による二段構えの降圧作用と呼ばれ、最初の数日で利尿による血圧低下→その後数週間かけて血管拡張によるさらなる低下、というメカニズムです。このおかげで、患者さんには「利尿薬を飲み始めて最初はトイレが近くなるけれど、体が慣れてくれば尿量は落ち着くので心配いりません」と説明できますし、むしろ日中に余分な水を出すことで夜間頻尿が改善するケースもあるとされています。**「利尿薬=ずっとオシッコが増え続けるわけではない」**というのは、若手薬剤師が患者指導で語れる豆知識の一つです。

サイアザイド系利尿薬は、高血圧治療にもたらした恩恵が極めて大きく、いわば**「高血圧治療の革命児」**でした。その有効性は数々の臨床試験で実証されています。例えば1960年代の米国Veterans Affairs協同研究では、中等度高血圧患者にサイアザイド系利尿薬を使うことで脳卒中や心不全の発症が有意に減少し、「高血圧は治療すれば予後が改善する」ことが初めて示されました。この流れを受け、世界中で降圧療法の重要性が認識されるようになります。さらに2000年代に入ると、ALLHAT試験(Antihypertensive and Lipid-Lowering Treatment to Prevent Heart Attack Trial, 2002年発表)という大規模臨床試験が行われました。ALLHATでは、高リスク高血圧患者を対象に「サイアザイド系利尿薬(クロルタリドン) vs ACE阻害薬(リシノプリル) vs Ca拮抗薬(アムロジピン)」の3種類で主要転帰を比較しました。その結果、サイアザイド系利尿薬群が他の2群に劣らないどころか、血圧低下効果が最も大きく、一部の心血管イベント発生率も有意に少ないことが示されたのです。このエビデンスは衝撃的で、当時新しい薬が台頭しつつあった中でも「利尿薬に勝る降圧薬なし」という評価を不動のものにしました。米国高血圧ガイドラインでも「第一選択薬としてサイアザイド系(正確にはサイアザイド類似体)を優先せよ」と明記され、日本のガイドラインでも利尿薬は主要3薬の一つに位置付けられています。

ALLHAT以外の主な試験・エビデンス:

  • SHEP試験(1991年) – 収縮期高血圧の高齢患者でサイアザイド系利尿薬(クロルタリドン)がプラセボに比べ脳卒中発症を36%も減少させ、降圧療法の有用性を裏付けました。
  • HYVET試験(2008年) – 80歳以上の超高齢者に利尿薬(インダパミド徐放剤1.5mg+ACE阻害薬併用群)とプラセボを比較し、治療群で脳卒中発症が30%減少、全死亡も21%減少するという結果を示しました。これにより「80歳を超えても積極的に血圧を下げるべき」という認識が広まりました。

こうしたエビデンスを背景に、現在でもサイアザイド系利尿薬(またはサイアザイド類似利尿薬)は高血圧治療の基本薬です。特にサイアザイド類似利尿薬(例えばインダパミドやクロルタリドン)は従来のサイアザイド系(ヒドロクロロチアジド等)より長時間作用し降圧効果が高いことから、海外でも重宝されています。日本で処方可能なサイアザイド類似薬はインダパミド(ナトリックス®)のみですが、その有用性から高齢者高血圧や塩分感受性の高い高血圧に積極的に用いられています。塩分摂取の多い日本人では利尿薬の効果が得られやすいとも言われ、実臨床でも「まず利尿薬を上手に使ってみる」ことが推奨されます。

▶現場で語れるトリビア:サイアザイド系利尿薬にはユニークな副次効果があります。一つはカルシウム代謝への影響です。遠位尿細管でのカルシウム再吸収を促進するため、長期使用で尿中カルシウム排泄が減少し骨密度の低下を防ぐ効果が期待できます。実際、ALLHAT試験の解析でもサイアザイド群の方が他薬剤群に比べ骨折リスクが低かったとの報告があります。高齢の高血圧患者で骨粗鬆症を合併している場合、サイアザイド系の利点として語れるポイントでしょう。またサイアザイド系は高尿酸血症や耐糖能異常を悪化させる副作用が知られていますが、一方で低容量から使えば副作用は最小限に抑えられることもわかっています。日本ではトリクロルメチアジドやヒドロクロロチアジドを少量配合した降圧薬も市販されており、これは「利尿薬をちょびっと加えるだけで血圧が下がる」という経験則を製剤化したものです。例えば「ミコンビ配合錠AP®」には微量のヒドロクロロチアジドが含まれています。若手薬剤師にとっては処方解析の際に「この配合剤、実は少し利尿薬が入ってるんだよ」という豆知識として活用できるでしょう。さらに、サイアザイド系とループ利尿薬の併用についても臨床では語り草です。ループ利尿薬で利尿効果が頭打ちになった難治性浮腫でも、サイアザイドを追加すると相乗効果で尿量が増える現象が知られています 。これはループ利尿薬で遠位尿細管に届くナトリウム量が増えたところに、サイアザイドでその再吸収をブロックするためで、進行腎不全の患者でも有効なケースがあります 。臨床の知恵として**「利尿薬にもコンビネーション療法あり」**は覚えておくと役立つトリビアです。

カリウム保持性利尿薬の登場とRALES試験以降の心不全治療

利尿薬の進化史においてもう一つ重要な系統が、カリウム保持性利尿薬です。これはその名の通り、利尿しながらカリウムを身体に保持する(排出しない)特徴を持つ薬剤群です。サイアザイド系やループ利尿薬はナトリウムと一緒にカリウムも排泄してしまうため低カリウム血症を招きやすいという欠点がありました。そこで1950年代後半、体内の塩分・水分調節ホルモンであるアルドステロンに着目した研究が始まりました。アルドステロンは腎の遠位部でナトリウム再吸収とカリウム排泄を促すホルモンですが、これをブロックすれば「ナトリウム排泄+カリウム保持」が可能になるはず、と考えられたのです。こうして生まれたのが抗アルドステロン薬、すなわちスピロノラクトン(商品名アルダクトン®)でした。スピロノラクトンは1959年に米国で承認され、利尿薬としては異色の「ステロイド構造を持つ利尿薬」として登場しました。作用部位は腎集合管から遠位尿細管にかけてのアルドステロン受容体で、ここに拮抗することでNa⁺-K⁺交換系を抑制しナトリウムと水の排泄を促進します (一方でカリウム排泄は抑える)。効果の面では、中等度の利尿作用を示すもののサイアザイド系よりは弱く、降圧単独剤としては力不足でした 。しかし**「カリウムを減らさない利尿薬」**という特性から、高血圧や浮腫治療において他の利尿薬と併用して低カリウム血症を防ぐ目的で広く使われるようになります 。日本でも「アルダクトンA配合錠」というスピロノラクトンとチアジド系の合剤が長年使用されてきたことは、先輩薬剤師ならご存知かもしれません (アルダクトンA錠の“A”はAbsorption=吸収性向上を意味し、利尿降圧剤として改良された製剤です )。

スピロノラクトンの真価が再認識されたのは、1990年代末になってからです。心不全治療の分野で行われたRALES試験(Randomized Aldactone Evaluation Study, 1999年)により、重症心不全患者にスピロノラクトン少量投与(25mg/日)を追加すると死亡率が大幅に低下することが証明されました。この試験では左室駆出率35%以下の重症心不全患者に対し、当時の標準治療(ACE阻害薬+利尿薬など)にスピロノラクトンを上乗せした群で、なんと死亡率が約30%も減少したのです。結果のインパクトがあまりに大きかったため、この試験は途中で早期中止され論文発表されました。スピロノラクトンは利尿薬ではありますが、心不全患者では利尿効果よりもアルドステロン遮断による心筋リモデリング抑制が奏功したと考えられています。実際、アルドステロンは心臓に直接作用して線維化を促進し心機能を悪化させることが分かっており、その悪影響を断つことで心不全の予後が改善したというわけです。RALES試験以降、スピロノラクトン(および後に開発された選択的抗アルドステロン薬エプレレノン)は心不全治療ガイドラインに組み込まれ、「利尿薬でありながら予後を改善する薬」という特別なポジションを得ました 。2003年には心筋梗塞後の心不全患者を対象にしたEPHESUS試験でエプレレノンの有用性も示され、現在ではACE阻害薬/ARB、β遮断薬、ARNI、そして抗アルドステロン薬(MRA)はHFrEF(収縮不全型心不全)の四本柱「ファンタスティック・フォー」と称されるまでになっています。

しかし一方で、RALES試験後には注意すべき事態も発生しました。カナダでの調査によると、RALES結果を受けてスピロノラクトン処方が急増した直後から、高齢心不全患者の高カリウム血症による入院率・死亡率が有意に増加したのです 。具体的には、RALES結果公表前の1994年には心不全患者1,000人あたり2.4件だった高カリウム血症入院が、2001年には11.0件に増加し、関連死亡も0.3件から2.0件に増えたと報告されています 。これはACE阻害薬などとの併用で致死的な高K血症が起こりうることを示しており、**「良い薬も使い方次第」**という教訓を残しました。日本においても、スピロノラクトンは慢性心不全患者に今や標準的に用いられますが、特に腎機能の低下した患者や高齢者では開始時から慎重なモニタリングが欠かせません。「利尿薬=カリウムを下げる」は昔の常識、今や「利尿薬なのにカリウムが上がる薬もある」という点は新人薬剤師も押さえておきたいポイントです。もしスピロノラクトン内服中の患者で食欲不振や脱力感があれば、高K血症による症状かもしれませんので注視する必要があります。

最後に、抗アルドステロン薬の発展について触れておきます。スピロノラクトンは安価で有効な薬ですが、構造上ステロイドホルモンに似ているため男女ホルモンへの作用が副作用として現れることがあります(男性の女性化乳房、女性の月経不順など) 。そこで開発されたのが選択的アルドステロンブロッカーのエプレレノンです。エプレレノンは2000年代に登場し、ホルモン副作用を大幅に軽減した反面、少し利尿作用は弱めです。しかし心不全予後改善効果は確立しており、日本でもエプレレノン(セララ®)は慢性心不全治療に用いられています。さらに近年では非ステロイド構造の新しいMRA(例:フィネレノン)が糖尿病性腎症の領域で登場し話題となっています(適応症は異なりますが、薬理的には「進化型」抗アルドステロン薬と言えるでしょう)。このように、カリウム保持性利尿薬の系譜は心臓と腎臓の保護という観点で今なお進化を続けています。**「利尿薬=単に水を出すだけでない」**ことを象徴する存在として、抗アルドステロン薬は今後も注目すべき薬剤と言えます。

トルバプタンなど新世代利尿薬と特殊適応疾患(ADPKD、肝硬変など)

21世紀に入ると、「水を出す薬」にさらに新しいカテゴリーが加わりました。それがバソプレシン受容体拮抗薬、通称「vaptan(バプタン)系」と呼ばれる薬です。代表的なトルバプタン(サムスカ®)は日本生まれの薬剤で、従来の利尿薬とは一線を画す**“水利尿薬”として登場しました。従来の利尿薬は全て腎でのナトリウム再吸収を阻害し、水と一緒にNa⁺を排泄する「ナトリウム利尿薬」でしたが、バプタン系は脳下垂体後葉ホルモンであるバソプレシン(ADH)のV2受容体をブロックすることで、水の再吸収だけを抑えて水分だけを排出するというユニークな作用を持ちます。いわば“ナトリウムを捨てずに水だけ捨てる”利尿薬であり、これによって低ナトリウム血症を是正できる点が最大の特徴です。2000年代初頭に化合物が開発され、トルバプタンはまず欧米で2010年代に心不全や肝硬変に伴う低Na血症の治療薬として承認されました。日本でも心不全の低ナトリウム血症改善目的で使われますが、実臨床では肝硬変の難治性腹水に対する少量トルバプタン内服がしばしば行われ、アルブミン製剤+利尿薬でも利かない腹水が改善した、といった報告もあります。バプタン系利尿薬は水だけ排出するため腎機能への悪影響が少ない反面、多尿と口渇を生じやすく、患者さんには「喉の渇きに注意し、飲水をしっかりすること」**を指導する必要があります。水が抜けすぎて脱水になると逆にNa濃度が急上昇する危険があるためです。

トルバプタンが真価を発揮した特殊疾患として、常染色体優性多発性嚢胞腎(ADPKD)が挙げられます。ADPKDは腎臓に多数の嚢胞ができる遺伝病で、進行すると腎不全に至る難病ですが、長らく有効な治療薬がありませんでした。しかしトルバプタンは嚢胞上皮にも存在するV2受容体をブロックし、嚢胞内への水流入を抑制することで腎嚢胞の増大と腎機能低下の進行を遅らせることが分かったのです。日本の大塚製薬が主導した国際共同第III相試験(TEMPO 3:4試験, 2012年発表)で、トルバプタン投与群はプラセボ群に比べ腎容積の増大速度が約50%抑制され、腎機能低下も有意に緩やかになることが示されました。この成果を受け、2014年に日本で世界に先駆けてADPKD治療薬としてトルバプタンが承認されます。**「世界初のADPKD進行抑制薬が日本で誕生」**した瞬間でした。以降、欧州でも2015年に承認、米国FDAも2018年に承認し、トルバプタンは現在ADPKDの標準治療として位置付けられています。ADPKD患者さんにとっては、1日に数リットルの尿量増加と闘いつつも腎機能温存の恩恵を受けるという、まさに「水との戦い」の治療ですが、その価値は大きいと言えるでしょう。

バプタン系以外の新しい利尿薬としては、SGLT2阻害薬も近年注目されています(詳細は次章で触れます)。また利尿ペプチド製剤(BNP製剤のネシリチドなど)が一時期話題になりましたが、臨床試験で有用性が限定的だったため一般的にはなっていません。むしろ新世代の利尿的薬剤としては、経口薬で慢性心不全の悪化を防ぐSGLT2阻害薬が従来の利尿薬との差別化ポイントを示しています。トルバプタンを含め、これら新しい薬剤は「体液の動きをコントロールする」アプローチとして従来の利尿薬を補完・代替しつつあります。薬剤師としては、患者の病態(例えば低ナトリウム血症が問題か、嚢胞腎か、心不全か)に合わせて利尿薬の使い分けや新旧薬の組み合わせを提案できると理想的です。例えば、うっ血性心不全の入院患者で低Na血症が進行する場合、従来は食塩水点滴などで対応していたものが、トルバプタンの内服で水利尿を促しナトリウム補正ができるようになりました。肝硬変腹水でも、フロセミド+スピロノラクトンで不十分ならトルバプタン追加という選択肢があります。このように**「利尿薬の新時代」**が開けつつあり、従来の利尿薬だけでは対処困難だった場面にも新薬が光を当てています。

▶現場で語れるトリビア:トルバプタンに関しては、日本人にとって誇らしいエピソードがあります。前述のとおりADPKDに対する初の治療薬として2014年に日本で承認されたのですが、実はその背景には開発者の熱意があります。大塚製薬の研究者たちは「嚢胞腎の患者を救いたい」という思いで10年以上もトルバプタンの研究を続け、世界に先駆けてエビデンスを積み上げました。その結果、日本の承認が世界初となり、欧米から「日本の成果」に称賛が寄せられたそうです。薬剤師として、患者さんにトルバプタンを説明するとき「この薬は日本で開発されて世界で初めて嚢胞腎に効くと証明されたんですよ」と話すと、患者さんも安心感を持たれるかもしれません。またトルバプタンの豆知識としては、「Samsca(サムスカ)」という商品名は英語の “SAMurai”(侍)+ “SKA”(スカッと利く?)が由来…ではなく、おそらく造語ですが、日本発の薬らしい力強い響きがありますね(正式な由来は非公開のようです)。冗談はさておき、バプタン系は投与開始時に急速な血清Na上昇に注意というポイントも現場的には重要です。開始から2日程度はNa値を毎日チェックする必要があり、若手薬剤師は処方提案の際にこのモニタリングの重要性を医師に伝えることでチーム医療に貢献できるでしょう。

利尿薬のこれからとSGLT2阻害薬などとの比較、脱“利尿薬”時代?

以上、利尿薬の歴史を辿ってきました。水銀から始まり、サイアザイド、ループ、カリウム保持性、そしてバプタン系へと至る進化の過程で、一貫して目指されてきたのは「いかに効率よく余分な水を体から出すか」でした。しかし21世紀の現在、私たちは新たな問いに直面しています。つまり**「利尿するだけで本当に良いのか?」という点です。確かに利尿薬は症状緩和には欠かせませんが、心不全や腎不全の予後(長期転帰)を改善するには至っていないことがわかってきました。むしろ強心薬や利尿薬の過度な使用は一時的に症状を改善しても長期的には予後を悪化させる可能性が指摘され、1990年代以降は「心臓や腎臓の保護」を重視した薬剤**が次々と開発されてきました。β遮断薬やACE阻害薬/ARB、ARNI(エンレスト®)などがその代表です。そして近年、SGLT2阻害薬という本来は糖尿病治療薬として生まれた薬が心不全・腎不全領域で脚光を浴びています。

SGLT2阻害薬は腎近位尿細管でのブドウ糖再吸収をブロックし、糖と一緒にナトリウムを尿中に排泄させる作用を持ちます 。一種の浸透圧利尿を引き起こすため、利尿薬的な性格も持ち合わせています。そのおかげで体重減少や血圧低下ももたらしますが、何より驚くべきは心不全患者の予後を改善する効果でした。2019年のDAPA-HF試験では、HFrEF患者にダパグリフロジン(SGLT2阻害薬)を投与すると心不全悪化や心血管死のリスクが大きく低下し、糖尿病の有無にかかわらず有効であることが示されました。これは従来の強力な利尿薬でも成し得なかった成果であり、まさに「症状も改善し予後も改善する」夢のような薬としてSGLT2阻害薬が登場したのです。現在ではエビデンスの蓄積に伴い、SGLT2阻害薬は心不全治療の基本薬(ファンタスティック・フォーの一角)として位置付けられています。また腎臓病の進行抑制効果も大規模試験で確認され、CKD治療ガイドラインでも推奨されるようになりました。もはやSGLT2阻害薬は「糖尿病薬」の枠を超え、循環器・腎臓領域で一種の利尿薬的役割すら担っているのです。

こうした背景から、将来的に「脱・利尿薬」時代が来るのではという声もあります。つまり古典的な利尿薬に頼らず、SGLT2阻害薬のように利尿+臓器保護を両立する薬に取って代わられるのではないか、という議論です。例えば慢性心不全外来では、従来ならフロセミドを常用していた患者にSGLT2阻害薬を導入し、うまく体液コントロールしながら利尿薬を減量・中止できたケースが報告されています。「利尿薬なしでも退院後の安定維持が可能になった」という症例は、確かに夢のようですが、現実味を帯びつつあります。また「飲む利尿薬」だけでなく、デバイスによる脱利尿薬の試みも進んでいます。たとえば植込み型の肺動脈圧モニター(CardioMEMS™)を用いて肺うっ血を早期検知し、入院前に経皮的に利尿薬投与(もしくはSGLT2阻害薬増量など)する遠隔医療の研究もなされています。こうした取り組みは**「利尿薬フリーで患者を悪化させない」**ことを目標にしており、まさに脱利尿薬時代の幕開けかもしれません。

もっとも、現時点では急性増悪時や高度のうっ血に対処するには速効性のループ利尿薬が不可欠です。SGLT2阻害薬は緩やかな利尿効果しかないため、急性肺水腫の患者にフロセミドの代わりとしては使えません。また腎機能が高度に落ちた患者ではSGLT2阻害薬の効果も減弱します。そのため**「最後の砦」としての利尿薬の価値は今後も残り続けるでしょう。要は、状況に応じて古典的利尿薬と新しい薬を使い分け、組み合わせていく時代と言えます。脱“利尿薬”という言葉はやや極端かもしれませんが、少なくとも「利尿するだけでは不十分」という認識が広まったことで、利尿薬は単独ヒーローからチーム医療の一員へと役割が変化しています。薬剤師として大切なのは、古くからある利尿薬の良さと限界を理解しつつ、新しい薬とのベストミックスを提案できる知識**を備えることです。例えば「この患者さん、利尿薬最大量でも浮腫が引かないけど低Na血症になってるからトルバプタン併用どうか」「この人は頻回の心不全入院を繰り返しているからSGLT2阻害薬追加してみよう」など、歴史を学んだ上で未来志向の発想を持てれば理想的です。

終わりに:利尿薬の進化の歴史を振り返ると、それは医学の進歩そのものと言える壮大な物語でした。毒にも薬にもなる水銀から始まった物語は、科学の発展によって安全で効果的な薬へと受け継がれ、ついには体のホルモンシステムや遺伝病にまで対応する新世代の薬へと枝分かれしました。若手〜中堅の薬剤師の皆さんには、ぜひこの歴史をネタに現場で語ってみてほしいと思います。「昔は浮腫を抜くのに水銀や管まで使ったらしいですよ」「ラシックスの名前の由来知ってます?」「実は利尿薬が骨折を防ぐって知ってました?」――きっと先輩や医師たちとの会話も弾むはずです。そして何より、この歴史を知ることで利尿薬の奥深さを再認識し、日々の薬物療法に新たな視点が生まれることでしょう。利尿薬は決して地味な薬ではありません。その進化の軌跡は、我々に患者ケアのヒントと情熱を与えてくれるはずです。さあ、明日からは胸を張って「利尿薬」の話題を提供してみませんか?きっと「へぇ〜!」という驚きと笑顔が返ってくることでしょう。

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ヤクマニ01

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心不全
※本記事は薬学生および薬剤師など、医療関係者を対象とした教育・学術目的の情報提供です。医薬品の販売促進を目的としたものではありません。
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