高血圧は日本で約4,300万人が罹患すると推計される「国民病」であり 、治療の必要性が高いにもかかわらず、多くの患者が治療を中断または未治療のままです。厚生労働省の患者調査(令和5年・2023年)によれば、現在継続的に高血圧の治療を受けている患者数は約1,609万人に上ります 。これは日本の総人口の約12~13%に相当する規模です。この**「治療継続患者数」**は過去数年で増加傾向にあります。例えば、平成29年(2017年)の調査では約993万人と推計されていましたが 、2020年の調査で推計方法の見直し(長期処方患者の把握精度向上)もあって約1,511万人に増加し 、さらに2023年には1,600万人を超えています 。一方で、疫学的な有病者数(未診断を含む血圧140/90以上の人)は4千万台と推定されるため、半数近くの高血圧患者が何らかの理由で治療を受けていない状況も示唆されています 。こうした治療未実施者の存在は、日本高血圧学会などが分析したNDB(レセプト情報・特定健診等データベース)の結果からも裏付けられ、約4,300万人の推定患者のうち受療者数は約2,700万人に留まる(残る約1,600万人は未受診)との報告があります 。このように治療継続率(治療率)は年々向上してきたものの、依然として一定数の患者が治療から漏れているのが現状です。
年代・性別による治療継続率の違い
高血圧の治療継続状況は年代や性別によって差がみられます。厚生労働省「国民健康・栄養調査」の詳細解析によれば、「過去に医師から高血圧と言われたことがある人」のうち、継続的に治療を続けている人の割合は男性で66.2%、女性で74.4%(2010年時点)でした 。女性のほうが男性より治療継続率が高く、男性は3人に1人近くが治療を中断または未受療であった計算です 。この男女差はその後も概ね続いているとみられ、生活習慣病対策の目標値でも治療継続率向上が課題として挙げられています(例えば糖尿病では治療継続者割合75%を目標 )。また年代別では、一般に若い現役世代ほど治療継続率が低く、高齢になるほど高い傾向があります。2010年の同調査では、例えば30~40代男性の継続治療率は6割弱に留まりましたが、70歳以上では8割前後が治療を継続していました 。これは若年層では「忙しさ」「自覚症状の乏しさ」から治療の優先度が下がる一方、高齢者ほど医療機関へのアクセスや健康意識が高く、治療を継続しやすい背景があると考えられます。実際、特定健診や職場健診で高血圧を指摘されても働き盛り世代では受診に踏み切らない例が多いとの指摘もあります 。こうした年代・性別差を踏まえ、若年~中年層の治療継続をいかに高めるかが今後の重要課題です。
特定健診後の治療導入率と継続率
生活習慣病予防の要である特定健康診査(特定健診)では、血圧測定も行われ高血圧の疑い例が抽出されます。しかし、健診で「要受診」「高血圧疑い」と判定されても直ちに医療機関に繋がるとは限らず、治療導入率にはギャップがあります。現行制度では健診結果に基づき受診勧奨が行われますが、その効果については様々な検証がなされています。例えば、ある職域健診の研究では、未治療のⅡ度・Ⅲ度高血圧者315名に対し当日中に受診勧奨の面談を実施したところ、1か月後に44.8%が医療機関を受診し治療を開始していました 。面談をしなかった場合の受診率と比較すると有意に改善しており、健診直後の積極的な働きかけが治療導入率を高めることが示されています 。もっとも、この介入下でも残り半数以上はすぐには受診に至っておらず、**「様子を見る」「忙しくて後回し」「まだ受診意思がない」**といった層が相当数存在しました 。翌年の追跡では、面談群でさらに治療開始者が増えたものの、それでも全員が治療に結びついたわけではありません 。実際の特定健診の現場でも、要治療と判定された人のうち即座に医療につながるのは一部に留まると考えられます。また、ようやく治療を開始しても、その後通院を中断してしまう人もいます。特定健診から治療導入、さらに治療継続へと円滑につなげるためには、健診結果のフィードバックと同時に受診勧奨・フォローアップを体系的に行う支援策が重要です。現役世代では仕事や家庭の事情で治療を後回しにしがちなため、産業医や保健師によるフォロー、受診しやすい環境整備が求められています。
治療中断の理由と背景要因
一度治療を開始した高血圧患者でも、途中で治療を中断してしまう背景には様々な要因があります。患者アンケート調査の結果から、治療中断理由の上位として以下のような項目が挙げられています :
- 通院に時間がかかり負担が大きい(第1位・31.6%) – 病院での待ち時間や通院そのものが日常生活の妨げとなり、中断に至るケースです。特に仕事や介護などで忙しい人ほどこの負担感が強く、若年~中年男性で顕著です。
- 治療費など経済的負担が大きい(第2位・25.0%) – 医療費・薬剤費の継続的負担が家計を圧迫し、通院をやめてしまう例です。高齢で収入の限られる層や、複数疾患を抱え薬剤費が嵩む人に多くみられます。
- 「治療を続けなくても大丈夫」と思った(同率2位・25.0%) – 症状がないまま治療していると「放置しても平気では」と感じ、中断してしまう心理的要因です。高血圧は「サイレントキラー」と称され自覚症状に乏しいため、特に血圧が軽度の人や病識の浅い人で治療の必要性を軽視する傾向があります。
- 治療や通院そのものが面倒になった(第4位・22.4%) – 生活の優先度が下がり通院を後回しにしているうちに、足が遠のいてしまうケースです。「なんとなく行かなくなった」(18.4%) という回答にも表れています。
- 通院を怠っているうちに行きづらくなった(15.8%) – 予約を無断キャンセルしたり間隔が空いたことで、主治医に叱られるのではという遠慮から受診しづらくなる心理です。
- 毎日薬を飲むのが大変だった(13.2%) – 複数錠の内服を要する場合など、服薬コンプライアンスの負担が中断要因になります。実際、1日4錠以上服薬している患者では「治療をやめたいとよく思う」が高血圧患者で52.7%と、糖尿病患者(36.2%)より高率でした 。
- 薬で治療しない方がよいと思った(11.8%) – 薬の副作用や「薬漬け」になることへの抵抗感から、自己判断で中止してしまう例です。特に血圧が安定してくると「もう薬をやめてもいいのでは」と感じる患者も多く、医師の説明不足や不信感があると生じやすい問題です。
- 治療効果が感じられなかった(11.8%) – 血圧は下がっていても本人は何も実感できないため、「通っても意味がない」と中断するケースです。
以上のように、時間的・経済的負担、治療の必要性に対する認識不足、服薬や通院の煩雑さなどが中断の主な原因となっています。これらは患者個々人の生活背景や価値観に深く関わる問題です。例えば、塩野義製薬の調査では高血圧患者の約7割が「治療は気楽にやればよい」と考えており 、治療目標値を正確に認知している人は2割強に留まったとの結果もあります 。このことは、患者の病識や治療意欲を高める働きかけが不足している可能性を示唆します。実際、日本高血圧学会のガイドラインでも「患者が治療を中断せず前向きに継続するためには、患者自身が高血圧のリスクや治療の必要性を理解し、医師と患者が合意のもと治療方針を決定すること(コンコーダンス)が極めて重要」と指摘されています 。医療者側には、患者への丁寧な説明と納得感の醸成、家族も含めた支援体制づくりなど、単に薬を処方するだけでなく患者のモチベーション維持に踏み込んだ対応が求められています。
地域差:都道府県・都市部と地方での違い
高血圧治療の継続状況には地域差も見られます。NDBを用いた全国調査によれば、都道府県別の高血圧受療率(人口10万対患者数、年齢調整値)は地域によって約1.2倍の開きがありました 。具体的には、男性では受療率が最も低いのが神奈川県の10万あたり19,833人、最も高いのが福島県の24,504人であり、女性では最低が京都府20,254人、最高が栃木県24,625人という結果でした 。東北地方や北関東地方の県で高血圧の受療率が高い傾向が見られ、一方で大都市圏を含む県で低い傾向が確認されています 。東北・北関東は歴史的に脳卒中による死亡率が高い「脳卒中ベルト地帯」と言われますが、高血圧受療率の高さはこうした地域での住民や医療機関の危機意識の高さ、地域ぐるみの治療介入の徹底などと関連している可能性があります 。逆に、受療率の低い都市部の地域では未発見・未治療の高血圧者が多い可能性があると指摘されています 。都市部では若年層人口が多く忙しさや転居等で通院中断しやすい、あるいは健診受診率自体が低い層がいる、といった要因が考えられます。また、地域医療体制の差も影響しうるでしょう。病床数20未満の小規模医療機関(クリニック)の果たす役割が大きく、全高血圧受療者の約59%がこのような小規模医療機関で受診しているとの報告もあります 。地方では身近なかかりつけ医に定期的に通う文化が根付いているのに対し、都市部では逆に病院志向が強く待ち時間や距離の問題で継続治療が滞る、という指摘もあります。地域ごとの患者特性や医療資源へのアクセスを踏まえた対策(例:受療率の低い地域での未治療者発掘や受診促進キャンペーン等)も重要です。
治療継続を支える取り組み:保健指導とICT活用
治療継続率を向上させるため、行政や医療現場では保健指導の強化やICT(情報通信技術)の活用による支援策が展開されています。特定健診でリスク因子を指摘された人には、特定保健指導として保健師や管理栄養士が生活改善をサポートしますが、近年この場面でもICTを取り入れる動きが活発です。厚労省の調査では、特定保健指導の継続支援にスマートフォンアプリ等を活用する例が増えており、2020年度は継続支援・最終評価の段階でスマホアプリを用いたケースが最も多かったと報告されています 。例えば、健康管理アプリ上で血圧や生活習慣の記録を共有し、保健指導員が随時アドバイスを送る仕組みにより、生活習慣改善と通院継続の両面を支援する取り組みが各地の保険者で行われています 。また、新型コロナ禍を契機に一般診療領域でもオンライン診療が広がり、高血圧治療にICTを応用する試みが注目されています。
図:自宅の血圧測定とオンライン診療・薬配送を組み合わせた高血圧治療支援サービスの概念図(テレメディーズ提供)。患者は通信機能付き血圧計で日々の血圧を測定し 、そのデータがクラウドに蓄積されて医師や専門スタッフがモニタリングする。 定期的にビデオ通話で医師の診察を受け、処方薬は自宅へ郵送される 。スマホアプリから服薬や測定のリマインドが届き、質問があればチャットで相談できる 。こうしたオンライン高血圧管理サービスは2019年頃から登場し始め、専門医と医療機器メーカー、IT企業が連携して提供するケースもあります 。代表的な例として、谷田部淳一医師らによる一般社団法人テレメディーズの**「テレメディーズBP」があります 。このサービスでは自宅で受診・服薬が完結する自由診療モデル**を採用し、待ち時間や通院・薬受取の手間といった従来治療のストレス要因を徹底的に排除しています 。実際、事前に実施された臨床試験でも通常の外来診療と比べ安全性・有効性に遜色ないことが確認され 、忙しいビジネスパーソンなど通院中断リスクの高い層への新たな選択肢として期待されています。費用は保険外となるものの月額定額制で、患者の利便性向上を優先する工夫がなされています 。
さらに、スマートウォッチやIoT血圧計、血圧管理アプリなども普及が進みつつあります。ウェアラブル端末で24時間血圧変動を追跡したり、家庭血圧をアプリでグラフ化して医師と共有したりすることで、患者自身が楽しみながら継続できる工夫も登場しています 。これらデバイスの発達により、医師からのフィードバックがタイムリーに得られたり、自身の努力の成果が見える化されるため、患者のモチベーション維持に繋がります。
保健指導・ICT活用に共通する狙いは、患者の治療離脱を防ぎ、長期にわたって血圧コントロールを良好に保つことにあります。前述のオンライン診療サービスを立ち上げた専門医も「ネット技術との組み合わせで高血圧患者の不便やストレスを解消し、長く元気に過ごせるようにしたい」と述べています 。これは治療継続率向上が最終的に脳卒中や心筋梗塞など重篤疾患の予防につながり、ひいては健康寿命の延伸に寄与するとの信念に基づくものです。
おわりに
高血圧の治療継続率は徐々に改善傾向にあるものの、依然として若年層を中心に治療中断・未治療の問題が残ります。年代・性別・地域ごとの特色を踏まえ、きめ細かな介入策と患者主体の治療戦略が求められています。医療者はガイドラインの示すコンコーダンス(協調)の精神に則り、患者と二人三脚で治療目標を共有しながら進めていく必要があります。また、現代のライフスタイルに即したICTの活用や新しい診療形態を柔軟に取り入れることで、**「治療を続けやすい環境」**を社会全体で整備していくことが重要です 。国の循環器病対策推進計画や健康日本21(第三次)でも治療継続率の向上が掲げられており 、今後さらに政策的な後押しが期待されます。高血圧治療は短距離走でなく長距離マラソンに例えられますが、医療提供側と患者側双方の工夫と努力によって、誰もが無理なく完走できる医療体制の構築が目指されています。
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