薬剤師が語る睡眠薬の進化史:バルビツール酸からオレキシン拮抗薬まで、人類が“眠り”を追い続けた100年

薬剤師が語る-薬の歴史と-治療戦略の変遷 不眠症
薬剤師が語る-薬の歴史と-治療戦略の変遷

はじめに

睡眠薬(睡眠導入剤)は、不眠症の治療や睡眠の質向上に欠かせない存在ですが、その種類や作用機序、そして安全性は時代とともに大きく変化してきました。かつて睡眠薬は「一度飲み始めるとやめられない」「量がどんどん増える」「認知機能が低下する」といった恐れを持たれる危険な薬でした。しかし現在では、少しずつ改良が重ねられ安全性が向上しています 。本稿では、薬剤師の皆さんが明日から「眠剤トーク」で語れるよう、睡眠薬の歴史的変遷をユーモアを交えた語り口で振り返ってみましょう。バルビツール酸系からベンゾジアゼピン系、非ベンゾジアゼピン系(いわゆるZ薬)、メラトニン受容体作動薬、そしてオレキシン受容体拮抗薬まで、それぞれの時代の代表薬や薬理、社会的背景、安全性の進歩について解説します。睡眠薬の作用機序や依存リスク、処方のトレンドなども織り交ぜながら、眠りをめぐる薬の物語を一緒にたどりましょう。

バルビツール酸系睡眠薬の時代(1920~1950年代)

今から約100年前、1920年代から1950年代にかけて、睡眠薬といえばまずバルビツール酸系(および一部の非バルビツール酸系)薬剤でした 。バルビツール酸系薬は1903年に世界初の睡眠薬「バルビタール(商品名ヴェロナール)」が登場して以降、多くの誘眠剤として使われました。日本でも「ラボナ」(※セコバルビタール)や「イソミタール」(※アモバルビタール)といった名前で知られる薬がありました 。この時代の睡眠薬たちは、脳の抑制性伝達物質GABA_A受容体に作用し、塩化物イオンチャネルの開口時間を延長させることでGABAの作用を増強し、強い催眠作用をもたらしました 。効果だけ見れば「強力に眠らせる」頼もしい薬だったのです。しかしながら、効き目が強烈であるがゆえに副作用やリスクも非常に大きい劇薬でもありました。

バルビツール酸系睡眠薬の問題点を挙げてみましょう :

  • 強い依存性と耐性: 連用するとすぐに薬への耐性が生じ、効きが悪くなって用量が増えがちです。また身体的な依存性も強く、乱用に陥りやすいことが知られていました 。患者さんは最初は一錠で寝付けていたのが、次第に二錠、三錠…とエスカレートしてしまうのです。
  • 過量服用の危険性: わずかな過量で呼吸抑制が起こり、致死的になり得ます 。当時のバルビツール酸系は治療量と致死量の差(治療指数)が非常に狭い薬でした。「あと少しだけ眠りたい」ともう一錠足しただけで、呼吸が止まって二度と目覚めなくなる――そんな危うさをはらんでいたのです 。
  • 離脱症状の重篤さ: 長期間使った後に急に中止すると、手指の震えや発汗、ひどい不安・錯乱状態など**アルコール離脱に似た症状(振戦せん妄)**を起こすことがありました 。最悪の場合、けいれんや意識障害に至る危険もあり、やめ時も命がけという代物です。
  • 慢性毒性(ビタミン欠乏症): バルビツール酸は肝酵素を誘導し代謝を亢進させるため、ビタミンB_2やB_6の吸収障害を引き起こします。その結果、長期常用者には結膜炎や皮膚炎といったビタミン欠乏症状も生じました 。眠りを得ても栄養失調になるという、なんとも皮肉な副作用です。

こうした危険な薬が、当時は世界中で処方箋なしで買えてしまいました。実は1950年代までは、多くの国で睡眠薬は医師の処方なしに薬局で入手できたのです 。当然ながら、社会にはこれら薬剤の乱用や事故が多発しました。その象徴が、有名人による服薬自殺です。例えば1950年代までにマリリン・モンロー(米国の女優)や芥川龍之介(日本の小説家)など、多数の著名人がバルビツール酸系睡眠薬によって自ら命を絶っています 。強力な睡眠薬は**「自殺の道具」にもなりうる恐ろしい薬だったのです。この状況にさすがに危機感を覚えた世界保健機関(WHO)は、1956年に各国へ勧告を出しました。それ以降、こうした睡眠薬は医師の処方箋がなければ入手できない**よう規制が強化されたのです 。

豆知識:バルビツール酸の名の由来 – 薬学好きとして触れておきたい小話ですが、「バルビツール酸」という名称は、発見者が聖バルバラの祝日にこの化合物を合成したことにちなむという説があります。まさに歴史を感じる命名ですね(諸説あり)。

こうして見ると、バルビツール酸系の時代は「効くけど危険」が当たり前の、劇薬時代だったことがわかります。当時の医師と薬剤師は、眠らせることと安全の板挟みに苦慮していたでしょう。もちろん現代では、これら古いバルビツール酸系睡眠薬が不眠症に使われることはほとんどありません 。ごく一部の薬(フェノバルビタール等)は今でもてんかん発作止めや全身麻酔の導入など特殊な用途に限定され、生涯を終えようとしています。睡眠薬史に残る**「第1世代」**として、その強烈な功罪を後世に伝える存在と言えるでしょう。

ベンゾジアゼピン系の登場と全盛(1960年代~)

1960年代に入ると、睡眠薬の世界に革命児が現れます。かの有名なベンゾジアゼピン系(BZD)薬の登場です 。バルビツール酸系の危険性を何とか解決できないか――そう模索していたスイス・ロシュ社の科学者レオ・シュテルンバッハは、1950年代半ば、新しい鎮静薬の候補を合成する研究を進めていました。しかしなかなか目覚ましい結果は出ず、一時プロジェクトは棚上げされます。ところが1957年、研究所の整理中に未試験の化合物が40本のボトル分も見つかったのです。シュテルンバッハは「捨てる前に全部一応、動物実験で作用を確認してみよう」と指示しました。結果、最初の39本はハズレ。しかし最後の1本だけが劇的な効果を示したのです。その化合物は動物に強力な鎮静、抗けいれん、筋弛緩作用をもたらしました 。まさに“埋もれていた宝”の発見です。この偶然から生まれた化合物こそ、世界初のベンゾジアゼピン系薬クロルジアゼポキシド(商品名リブリウム)でした。1960年に発売されるや否や、穏やかな効果と安全性で注目を集めます。その後、ジアゼパム(商品名バリウム、1963年発売)など次々と新薬が登場し、1970年代にはベンゾジアゼピンが世界で最も処方される薬の一群となりました 。**「ママの小さな助け(Mother’s little helper)」**という俗称まで生まれ、ストレス社会の救世主のように受け入れられたのです(1966年のローリング・ストーンズの曲名にもなりました)。

では、ベンゾジアゼピン系睡眠薬は具体的にそれまでの薬と何が違ったのでしょうか?一言でいえば、**「よく眠れるのに前より安全!」**という夢のようなメリットを引っ提げての登場でした。主な特徴を整理します。

  • 安全域の拡大: バルビツール酸に比べ過量服用での安全性が格段に高まりました。ベンゾジアゼピン単独で大量に飲んでも致死的な呼吸抑制に至ることは極めて稀であり 、万一飲み過ぎても命を落とすリスクは低く抑えられたのです。「睡眠薬=自殺の道具」という図式を覆す画期的な進歩でした。
  • 依存・乱用のリスク低減: 依存性についても、バルビツール酸ほどの強烈さはなく、当初は「タバコやアルコールより依存になりにくい」とも言われました (※もっとも現在では、常用量でも依存を生じうることが判明しています  。当時は今より楽観的に捉えられていたということですね)。いずれにせよ、普通に使う範囲であれば乱用に陥るケースは少なく、多くの患者が安全に中止できると期待されました 。
  • 多様な作用と用途: ベンゾジアゼピン系は催眠作用だけでなく抗不安作用や筋弛緩作用、抗けいれん作用などを併せ持つため、不眠症のみならず不安障害やてんかん、筋緊張の緩和など幅広い適応で使えることになりました 。つまり睡眠薬として処方しておけば、不安も和らぐし、筋肉もリラックスして眠りやすいという“一石二鳥”の側面も歓迎されたのです。

こうして睡眠薬の主役は1960年代以降、急速にバルビツール酸からベンゾジアゼピンへ置き換わっていきました 。代表的なベンゾジアゼピン系睡眠薬として、日本でもニトラゼパム(ベンザリン)、フルニトラゼパム(サイレース)、エスタゾラム(ユーロジン)、トリアゾラム(ハルシオン)など多数の銘柄が登場し、不眠症治療の中心となりました。

しかし、「安全になった!」と謳われたベンゾジアゼピン系にも、時間が経つと見えてきた欠点があります。夢の薬にも裏と表があるわけです。その代表的な注意点を挙げると:

  • 長期使用での依存・離脱: ベンゾ系は長期連用により身体依存を形成し、急にやめれば離脱症状やリバウンド不眠が現れます 。特に作用時間の短い(効果の切れやすい)薬ほど依存形成や中断時の反動不眠が起こりやすいことが知られています 。薬を減らす際には少しずつ段階的に減量しないと、不眠や不安、手の震えなどが一時的に悪化することがあります 。
  • 健忘(もの忘れ): 服薬後の一定時間の記憶が抜け落ちる前向性健忘という副作用もあります 。特に短時間型ベンゾジアゼピン(例えばハルシオン錠<トリアゾラム>など)で多く、深夜に起きて行動したことを翌朝まったく覚えていない…といったことが起こりえます。実際、1980年代にはハルシオンの服用者が「睡眠中に奇行に走った」「記憶がないまま犯罪を犯した」などの事件も報告され、英国や北欧などではハルシオン自体が発売禁止になる事態にもなりました 。日本でも添付文書に厳重な注意喚起がなされています。
  • 持ち越し効果と転倒リスク: 半減期が長めの薬では翌日まで眠気やふらつきが残る持ち越し効果があります。また筋肉を弛緩させる作用ゆえに高齢者では転倒骨折のリスクも指摘されました 。特に夜間トイレに起きた際の転倒には注意が必要で、近年ではご高齢の方には半減期が短い薬か、そもそも別機序の薬へ切り替える動きがあります 。
  • 睡眠構造への影響: バルビツール酸系がレム睡眠(夢を見る浅い眠り)を抑圧する傾向が強かったのに対し、ベンゾ系は比較的レム睡眠への影響が少ないと当初は評価されました 。しかし、それでも自然な睡眠とは異なる脳波パターンになることは確かで、熟眠感が十分でなかったり、長期的な影響が議論されたりもしました  。

これらの問題はあるものの、総じてベンゾジアゼピン系睡眠薬は「必要な時に短期で使う」分には有益な薬として定着しました。世界中で処方が爆発的に増え、日本も例外ではありません。1990年代頃まで、日本の不眠症患者さんには当たり前のようにベンゾ系睡眠薬が長期処方され、処方箋なしでは買えないはずの薬が家の引き出しに山ほど溜まっている…なんてことも珍しくなかったのです(当時は薬局でも比較的簡単に余分な錠数をもらえたりしました)。

しかし時代が下るにつれ、「やはりベンゾジアゼピンも乱用や依存のリスクがある」という認識が高まりました。欧米では1990年代にはすでに「常用量での依存」が広く知られていたのですが、日本では長らく「処方通りの量で飲んでいれば依存は生じない」という楽観論が根強く、漫然とした長期投与が続く傾向がありました 。2017年3月、PMDAは「ベンゾジアゼピン受容体作動薬の依存性について」通知(No.11)を出し、添付文書の「使用上の注意」において「漫然と長期使用を避けること」「承認用量範囲内でも依存が生じる可能性がある」などの文言の挿入を指示しました。 

また、2016年にはゾピクロンおよびエチゾラムが第三種向精神薬に指定され、掲示事項等告示によってこれらの薬の投薬期間上限を 30日分 に制限する取り扱いが通知されました。 

さらに、診療報酬制度では、3種類以上の睡眠薬・抗不安薬の併用や ベンゾジアゼピン系薬を1年以上漫然処方する行為に対し、処方料の減算(ペナルティ)を課すルールが導入されています。  

以上、第2世代とも言えるベンゾジアゼピン系睡眠薬は、「劇薬」から「より安全な薬」への大きな一歩を実現しました。しかし万能ではなく、依存や副作用と隣り合わせであることも判明したのです。患者さんに質の良い睡眠を提供しつつ、安全をどう担保するか――この課題は引き続き医療者に突きつけられることになりました。

非ベンゾジアゼピン系(Z薬)の台頭(1980~2000年代)

1980年代後半から1990年代にかけて、睡眠薬の世界にさらなる新顔が登場します。俗に「Zドラッグ」と呼ばれる非ベンゾジアゼピン系睡眠薬です(名称にzが付く代表薬が多いためそう呼ばれます)。欧米では1988年にゾルピデム(商品名アンビエン, 日本名マイスリー)が発売され、1990年代から広く使われ始めました 。日本でも2000年にマイスリー(ゾルピデム)が導入され、その少し前にはゾピクロン(アモバン)が1989年から使用可能になっています 。さらに2012年にはゾピクロンの光学異性体であるエスゾピクロン(ルネスタ)も登場し、処方の選択肢に加わりました 。これら非ベンゾジアゼピン系は構造がベンゾジアゼピンと異なるものの、基本的な作用機序はベンゾ系と同じくGABAA受容体を介した脳活動抑制です 。では何が「新しい」のかというと、受容体サブタイプ選択性に特徴があります。

脳のGABAA受容体にはいくつかのサブタイプがあり、睡眠作用に関与する部位(ω1受容体、現在ではα1サブユニットに相当)と、筋弛緩・抗不安作用に関与する部位(ω2、α2/3サブユニット)があります 。ベンゾジアゼピン系は両方に作用するため、不安も和らぐ反面、筋弛緩によるふらつき等の副作用も出ました。そこで非ベンゾ系Z薬は、主にω1受容体に選択的に作用して睡眠効果を発揮し、ω2への作用は弱めるようデザインされたのです 。簡単に言えば、「よりピンポイントに眠りに効いて、余計な筋弛緩は少ない」というわけですね。特に高齢者では筋力低下や転倒リスクが問題でしたから、Z薬は「お年寄りにも使いやすい眠剤」として歓迎されました 。

また、Z薬の多くは超短時間型~短時間型で、体内からの消失が早く翌朝に持ち越しにくいことも利点とされました。例えばゾルピデムは半減期2時間程度で夜間のみ作用し、朝にはスッキリ醒める設計です (※ただし個人差や高齢者では代謝遅延もあり得ます)。このおかげで「翌日の眠気が少ない」という触れ込みでした。実際、ベンゾジアゼピン系長時間作用薬のような翌日の強い眠気・だるさは減り、昼間の活動性を損なわないメリットがありました。

さらに一部の研究では、Z薬はベンゾ系より乱用されにくい傾向が報告されています 。その理由として、報酬系に関与するGABA受容体(α2サブユニットなど)への作用が弱いため**「快感」が少ないからではないか、と推測されています 。いわゆる“キマる”感じが乏しいので、依存目的で濫用する人が少ないという解釈です。ただしこれも全く乱用がないわけではなく**、米国ではベンゾ系と同じスケジュールIV(依存リスクのある処方薬)に指定され規制されています 。適切に使えば安全だが、過信は禁物という点では同じですね。

こうしたメリットから、2000年代以降、日本でも睡眠薬処方の主流がベンゾ系から非ベンゾ系Z薬へとシフトしていきました。実際、処方量ランキングを見るとゾルピデム(マイスリー)は長年トップクラスであり、多くの睡眠薬ユーザーがZ薬を経験しているでしょう。薬剤師の立場でも、マイスリーやアモバンの特徴(苦味が強いとか、寝つきが悪い時だけ頓用で出る等)は日常的な話題ですよね。

とはいえ、Z薬にも気になる副作用エピソードがあります。有名なのは**「複雑睡眠行動」と呼ばれる現象です。ゾルピデムなどを服用した人が、夜中に無意識で起き出して睡眠下で歩き回ったり、食事をしたり、車を運転したりするケースが海外で報告され社会問題化しました。本人は翌朝まったく記憶がなく、気づいたらキッチンが散らかっていた、遠くの街で交通事故を起こしていた、などというエピソードがあるのです。「アンビエン・ウォーキング(Ambien Sleepwalking)」という俗語ができたほどでした。日本でも2017年頃に注意喚起がなされ、現在は添付文書に「異常行動(寝ぼけ状態での行動)のおそれ。こうした症状が出たら服用中止」との記載があります 。幸い頻度は極めて稀ですが、薬剤師としては患者さんに「飲んだら必ず床についてください。起きて活動しないでね」**と指導するようにしています。

余談:ゾピクロンの苦み問題 – 薬剤師あるあるネタですが、ゾピクロン(アモバン)の服用後に感じる苦味は有名ですね。服用後に水を飲んでも消えない金属的な苦い味…これはゾピクロンの代謝産物が唾液に分泌されるためと言われています。患者さんから「この薬、なんか苦いんだけど?」と聞かれたら、「ああ、それアモバンの独特な副作用なんですよ~。びっくりしますよね」と談笑したりします。エスゾピクロン(ルネスタ)では多少マシになったとも言われますが、人によってはやはり感じるようです。

こうして、第3世代の非ベンゾジアゼピン系(Z薬)は「選択的作用で副作用を減らす」「持ち越し眠気を減らす」という改善をもたらし、現代の不眠症治療の中心となりました。しかし、根本の作用はやはりGABAを強めて脳を鎮静する点でベンゾジアゼピンと同じため、長期使用時の耐性・依存、離脱症状の可能性という課題は依然残っています 。そのため、現在でもZ薬を含むGABA系睡眠薬は「できれば短期間の使用に留め、必要に応じて減量・中止を検討する」というのが基本スタンスです 。

メラトニン受容体作動薬の登場(2010年代)

長らく不眠症治療は「GABA受容体をいかに上手にいじるか」という一点突破型でした。しかし2010年代になると、脳の別の仕組みに働きかける新しいタイプの睡眠薬が出現します。それがメラトニン受容体作動薬です 。人間の脳には、体内時計を司る視交叉上核という部位があり、夜間になるとメラトニンというホルモンが分泌されて睡眠を促します。いわば「体内時計が眠れ、と命令する物質」がメラトニンです。この天然のしくみを利用したのが、メラトニン受容体作動薬ラメルテオン(商品名ロゼレム)でした。

ラメルテオンは2005年に米国で承認され、2010年に日本でも発売されました 。薬理学的には、メラトニンMT1受容体とMT2受容体のアゴニスト(作動薬)として作用します 。MT1受容体を刺激すると入眠を促進し、MT2受容体への作用で体内時計(概日リズム)の調整がなされます 。要するに、「夜だよ~寝る時間だよ~」と身体に教えてあげる薬というイメージです。ポイントは、従来のGABA系薬のように脳全体を無理やり沈静させるのではなく、自然な睡眠リズムに近い形で眠気を誘導する点です 。

この特性のおかげで、ラメルテオンには筋弛緩作用や抗不安作用がなく、記憶障害や翌朝の持ち越しも起きにくいとされています 。さらにGABA系ではないため依存性や離脱症状のリスクもほとんどありません 。高齢者や認知症患者にも比較的安全に使える、新時代の睡眠薬といえます 。私たち薬剤師にとっても、「これはクセになりにくいですよ」と安心感をもって説明できる薬ですね。

もっとも、ラメルテオンには弱点もあります。それは**「効果の現れ方がマイルド」なことです。脳をガツンと眠らせるわけではないので、即効性に欠けるのです 。不眠症のタイプにもよりますが、特に寝つきの悪さ(入眠障害)に対しては数日~数週間の継続投与で徐々にリズムを整え、自然な眠りを取り戻すことを目指す薬です 。「飲んだら30分でコロッと眠れる」という従来の睡眠薬のイメージで使うと、「あれ、全然効かないよ?」となりかねません 。実際、「効かない」と感じる患者さんが一定数いるのも事実です 。しかし裏を返せば、それだけ作用が穏やかで乱用されにくい**ということでもあります 。依存リスクが極めて低いので、医師としても長期的に安心して処方できる利点があります。

ラメルテオン(ロゼレム)は現在、日本では不眠症全般の適応で処方されています。また2020年には、メラトニンそのもの(レチケル錠・商品名メラトベル)が小児の発達障害に伴う不眠症向けに承認されました 。こちらは生体ホルモンそのものを補充する形で、同じメラトニン受容体作用を示します。現状は6~15歳限定の適応ですが、将来的に成人にも拡大される可能性があります 。海外ではメラトニンはサプリメントとして市販もされていますが、日本では厳密に医薬品として扱い、適正な使用範囲を模索している段階と言えるでしょう。

メラトニン受容体作動薬は、第4世代の睡眠薬として「ホルモンで眠りを調整する」という新アプローチを切り拓きました。依存の不安なく使える点は画期的ですが、そのぶん即効性に欠けるため、患者さんの期待値とのギャップを埋める工夫(例えば睡眠衛生指導や認知行動療法との併用)が必要です。薬剤師としても、この薬の特徴をよく理解し「じわじわ効いてきますからね」「眠れない時だけじゃなく毎晩決まった時間に飲んでリズムを整えましょう」といった説明をすると良いでしょう。

オレキシン受容体拮抗薬という新章(2010年代~)

最後にご紹介するのは、最新世代とも言えるオレキシン受容体拮抗薬です 。これは2014年に世界初の製品が発売された、まったく新しい作用機序の睡眠薬です。オレキシンとは、1998年に筑波大学の柳沢正史教授らによって発見された脳内の覚醒物質(神経ペプチド)です 。脳が覚醒状態を維持するためにオレキシンが働いており、この物質が欠乏するとナルコレプシー(居眠り病)のように突然眠り込んでしまうことが分かっています 。実際、オレキシンを作れないマウスは活動中にふと寝落ちする症状を示し、人間のナルコレプシー患者でも脳脊髄液中のオレキシンが欠乏していることが確認されました 。この発見により、睡眠・覚醒のスイッチにおいて**「覚醒側を司るオレキシン」**の重要性が明らかになったのです。

そこで製薬会社は考えました。「オレキシンの働きを一時的にブロックすれば、人為的に“プチ・ナルコレプシー状態”を起こせるのでは?つまり自然な眠りに落とせるのでは?」と。 オレキシンが脳内で覚醒スイッチを押すのを邪魔してやれば、脳は自ら睡眠に移行するだろうという発想です。当初はオレキシンを減らす薬は「食欲抑制剤(痩せ薬)」になると期待され研究されていましたが、睡眠への関与が判明すると一転して睡眠薬開発レースが始まりました 。

こうして誕生したのが、スボレキサント(商品名ベルソムラ)です。米国メルク社が開発し、2014年にまず日本で世界に先駆けて発売されました 。日本が新薬の世界初承認地になるのは珍しく、当時かなり話題になりました。続いて米国でも承認され、以降このクラスの薬が徐々に普及しています。スボレキサントはオレキシン受容体を選択的にブロックし、覚醒シグナルを遮断することで眠りに誘う薬です 。いわば「睡眠スイッチを入れる」というより「覚醒スイッチを切る」薬と表現できます。

その特徴から、従来のGABA系薬とは一線を画すメリットが期待されました。

  • 自然に近い睡眠: 脳を無理矢理鎮静させるのではなく、覚醒ドライブをオフにして自然な眠気に任せるため、睡眠の質がより生理的に近いのではと期待されました 。動物実験でも、オレキシン遮断薬で得られる睡眠は正常なノンレム・レムパターンを示し、深い睡眠も保たれることが示唆されています(逆にバルビツール酸系はレム睡眠を極端に抑圧していました )。
  • 副作用の軽減: オレキシン系は筋弛緩作用がなく、日中の眠気も最小限とされます 。実際、健常者への試験では翌朝の作業性能への影響は低用量ではプラセボと差がなかったとのデータがあります。ただし高用量では多少持ち越し眠気も出るため、用量設定には注意が払われました(米国では翌朝運転能力低下の恐れから推奨量が当初計画より低く設定されています)。
  • 依存性の低さ: GABA系ではないため身体依存や乱用の可能性が極めて低いと考えられました 。臨床試験でも長期連用後の離脱症候や反跳性不眠は認められなかったと報告されています。実際、発売後数年経ちますが乱用症例はほぼ皆無と言ってよい状況です 。薬理学的にも「飲んだらハイになる」ような作用は無いため、依存目的での乱用には向かないのでしょう。

もっとも、オレキシン受容体拮抗薬にも課題はあります。最大のものは効果に個人差が大きいことでしょう。「飲んでも全然効かない」という人が一定数います 。これは睡眠覚醒システムの個人差や、オレキシン以外の要因で不眠が起きている場合には効きづらい、といった事情があります。実際、入眠までに時間がかかるタイプの不眠には有効ですが、夜中に何度も目が覚めるような中途覚醒型の不眠にはあまり効かないとの声もあります。また即効性もGABA系よりは劣る印象です。「飲んだらすぐグー」ではなく、「あれ、いつの間にか寝落ちしてた」という感じで効くため、人によっては効いている実感が乏しいのでしょう。それでも、「自然に近い眠り方」と言われれば納得でもあります。

現在日本で使えるオレキシン受容体拮抗薬は、**スボレキサント(ベルソムラ)に加え、2020年登場のレンボレキサント(デエビゴ)があります 。さらに2022年には米国でダリドレキサント(商品名クオビック)**が承認され、日本でも2024年に発売予定とされています 。各薬の薬効は概ね似ていますが、薬物動態(効き始めの早さや作用時間)が少しずつ異なるため、患者さんに合わせた使い分けが検討されています 。例えば入眠困難メインならレンボレキサント、眠り維持も課題ならスボレキサントなどと言われますが、最終的には個人差も大きい印象です。

オレキシン薬は第5世代の睡眠薬として、今後ますます使用が広がるでしょう。特に高齢患者や呼吸機能が低下した患者にはGABA系より安全とされ、睡眠時無呼吸症候群を併発しているケースでも使いやすいとの報告もあります 。実際、筋弛緩しないので気道閉塞を悪化させにくいわけですね。また最近の研究ではせん妄予防への効果も示唆されており、術後や入院患者の睡眠管理に応用する試みもあります 。薬剤師としても、新しい作用機序の知識をアップデートしつつ、安全かつ適切な使用を支援していくことが求められます。

補足トリビア:名前の由来 – スボレキサントの愛称「ベルソムラ(Belsomra)」は、フランス語で美しいを意味する“ベル”と、スペイン語で眠りを意味する“ソムニ”を組み合わせた造語です。まさに**「美しい眠り」**を謳った名前ですね 。レンボレキサントのブランド名「デエビゴ(Dayvigo)」は英語のDay(昼)+  Latio語のvigilare(覚醒する)から来ており、「昼間にちゃんと覚醒できる睡眠薬」という意味合いだとか。各社ネーミングにも気合が入っています。

おわりに:睡眠薬の進化と適正使用

以上、睡眠薬の歴史をバルビツール酸系→ベンゾジアゼピン系→非ベンゾジアゼピン系(Z薬)→メラトニン受容体作動薬→オレキシン受容体拮抗薬という流れで見てきました。それぞれの種類ごとに作用機序や安全性が改良され、睡眠薬の進化史はまさに**「危険だけど効く薬」から「安全にも配慮した薬」への歩みだったといえます 。20世紀初頭に登場したバルビツール酸は強力だが命がけの薬でした 。それが1960年代以降、より安全なベンゾジアゼピン系・非ベンゾ系へ発展し 、さらに近年になって初めてGABA以外のメカニズム(メラトニン・オレキシン)に光が当たりました 。睡眠薬はまさに日進月歩**で改良が続けられている分野なのです 。

しかし、どんな最新の薬でも万能薬ではないことも事実です。依然として「完璧に安全で依存も副作用もゼロ、誰でもぐっすり」という魔法の睡眠薬は存在しません。現代の睡眠薬は副作用プロファイルこそ改善されたものの、それぞれ効果に個人差があったり、即効性と安全性のトレードオフがあったりします。また薬だけで不眠症が根本解決するわけではなく、睡眠衛生の改善や認知行動療法など非薬物療法との組み合わせが重要である点も昔から変わりません 。

薬剤師としては、時代ごとの睡眠薬の特徴を理解しつつ、患者さんに最適な選択肢を提供する役割があります。「昔の睡眠薬は危なかったけど、今の薬はずっと安全になってきています 。でも依存のリスクはゼロじゃないので、ちゃんと医師の指示通りに使いましょうね」といった説明ができると良いでしょう。幸い、日本でも近年は処方の適正化が進み、漫然と何年も薬を出し続けるケースは減ってきました 。患者さんに睡眠薬の種類や作用機序について尋ねられた際には、本稿で辿った歴史のエピソードを交えながら、「今飲んでいるこの薬は第◯世代で、こんなメリット・デメリットがあるんですよ」と説明してみてください。きっと明日からの「眠剤トーク」が一段と深みを増すはずです。

最後に、現在も多くの製薬会社や研究者が新しい睡眠薬の開発に挑んでいます。オレキシン拮抗薬以外にも、ユニークな作用をもつ薬(例えば低用量の抗うつ薬や抗ヒスタミン薬の活用、さらには全く新規機序の化合物)など候補は様々です。究極的には「自然な睡眠をそのまま薬で誘導できる」ことが理想ですが、それには脳科学のさらなる解明が必要でしょう。**「なぜ人は眠るのか?」**という根源的な謎もまだ完全には解明されていません 。眠りの研究はノーベル賞級とも言われるフロンティアです 。今後、睡眠のメカニズムが明らかになるほど、それに沿ったより生理的な睡眠薬が開発されることでしょう。薬剤師としてもアンテナを張り巡らせ、最新の知見をアップデートしていきたいですね。

以上、睡眠薬の進化の物語を振り返りました。睡眠薬の種類ごとの作用機序や変遷、安全性について理解を深めることで、患者さんへの適切な助言や医師への提案につながるはずです。「昨日は眠れた?薬は合ってそう?」といった何気ない会話の中にも、歴史を踏まえた視点が垣間見えれば、薬剤師冥利に尽きるというものではないでしょうか。今日の夜も、そしてこれからの未来も、患者さんに安らかな眠りが訪れることを願って…おやすみなさい。

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今後も「薬の物語」を一緒にたどっていきましょう。

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ヤクマニ01

薬剤師。ヤクマニドットコム編集長。
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不眠症
※本記事は薬学生および薬剤師など、医療関係者を対象とした教育・学術目的の情報提供です。医薬品の販売促進を目的としたものではありません。
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