オピオイドの歴史的経緯(古代~近現代)
アヘンの医療利用は紀元前3000年頃のメソポタミア文明に遡るとされ、シュメール人の粘土板やエジプトのエーベルス・パピルスには“甘いケシの汁”の処方例が記録されている 。古代ギリシャ・ローマではヒポクラテスやガレノスらがケシ果実(メコン)やアヘンを鎮痛・下剤として推奨した 。中世以降にはイスラム世界を経てヨーロッパにも広まり、パラケルススがアヘンチンキ(ロイコポン)を処方、16~18世紀にはイギリスでアルコール漬けアヘンの「ラウダナム」が市民権を得た。
19世紀に入ると、アヘンアルカロイドの単離が進む。1803年にドイツの薬剤師セルチュルナーがアヘンからモルヒネを抽出し、その後1832年にはコデインが分離された 。1850年代にはリンドが針筒を発明し、プラヴァ・ウッドらがモルヒネの皮下注射を実用化している 。1894年にはアヘンアルカロイドの二酢酸化物(ジアセチルモルヒネ)が合成され、1898年にバイエル社から鎮咳剤・鎮痛剤「ヘロイン」として発売されたが、当初期待された非依存性は実現せず、後年モルヒネ以上に強い依存性が問題となった 。
20世紀にはさらなる合成オピオイドが登場する。1939年にはドイツでペチジン(メペリジン)が開発され、1959年にはヤンセン社により高力価のフェンタニルが合成された 。このように、より迅速で強力な鎮痛手段を求めて進化してきたオピオイドだが、それと同時に依存・乱用という副作用の歴史も続いている 。
オピオイドの有益性と限界
オピオイドは中枢神経系のμ・κ・δ受容体に作用し、強力な鎮痛効果を発揮する 。手術後疼痛やがん性疼痛などの重度の痛みに対して、モルヒネやフェンタニルは第一選択薬として広く用いられている 。しかしその鎮痛作用と引き換えに、重大な副作用も生じる。脳幹の呼吸中枢を抑制するため、過量投与やアルコール・ベンゾジアゼピン等との併用で致死的な呼吸抑制を引き起こし得る 。さらに、長期投与では体内で耐性が形成されて効果減弱や用量増大を招き、依存・乱用が問題となりやすい 。WHOも「オピオイドの非医療使用や長期使用、誤用は依存や健康被害につながる」と警告している 。また典型的な副作用として便秘、嘔気・嘔吐、眠気・鎮静、ホルモン抑制(性欲減退など)やせき抑制、瞳孔縮小、血圧低下などが知られている 。加えて、急速投与に伴う血圧低下やめまい、慢性使用によるオピオイド誘発性過敏症(痛みの感受性増強)も報告されている 。このため、CDCなど各国ガイドラインは「鎮痛効果より副作用リスクが上回らない場合のみオピオイドを使用すべき」と厳格な処方指針を示している 。
米国のオピオイド危機:乱用状況・死亡率・規制の経緯
近年、米国ではオピオイド乱用による過剰摂取死が社会問題化している。CDCの報告によれば、薬物過剰摂取死は2023年約10万5千人に達し、そのうち約8万人(76%)がオピオイド関連だった 。1999年当時と比べて2023年のオピオイド過剰死は約10倍に増加した。米国のオピオイド問題は大別して三つの波があるとされる:第一波は1990年代以降の処方オピオイド(モルヒネ、オキシコドンなど)の過剰処方に起因し、2000年代半ばまでに関連死が急増した 。第二波は2010年頃からのヘロイン乱用拡大期であり 、第三波は2013年以降に違法製造フェンタニルや類似合成オピオイド(IMF)が急増した時期である 。IMFはパウダー状や偽造錠剤に混入されて流通し、消費者は摂取前に気づかないケースが多い。CDCによると2013~2019年で米国の合成オピオイド関連死は1040%増加しており、その多くは違法フェンタニルによるものだった 。この結果、米国の薬物過剰死は2021年に初めて年間10万人を超え、2023年時点でも年間8万人規模と極めて高止まりしている 。
こうした事態を受け、米国では規制強化と治療支援の両面で対策が講じられている。1920年のハリソン法制定以来、処方用麻薬の登録と課税が義務付けられ、1970年の麻薬規制法(CSA)では麻薬・向精神薬が5段階に格付けされて法規制された 。近年もオキシコンチン(1996年承認)の過剰投与問題を背景に、2016年にはCDCが慢性疼痛に対する処方指針を発表し、過量処方や長期処方を抑制している 。また依存症治療では、ナロキソンによる救命普及や、2022年にはブプレノルフィン処方のXワイヴァー(特別許可)廃止などが行われ、薬物治療アクセスの改善が図られた。世界保健機関(WHO)も「適切なタイミングでナロキソンを投与すればオピオイド過剰摂取死を防げる」と指摘し 、救命対策を強く推奨している。
日本のオピオイド規制と使用状況
日本ではオピオイド鎮痛薬の消費量は先進国の中でも非常に低い 。麻薬及び向精神薬取締法により、強オピオイド(モルヒネ、フェンタニル、オキシコドン、メサドン、ヒドロモルフォン、タペンタドールなど)は「医療用麻薬」に指定され、取扱い・処方に厳しい制限と記録義務が課されている 。一方、トラマドールは麻薬にも向精神薬にも指定されておらず規制がなく、ペンタゾシンなどは向精神薬に分類される 。このため、米国で問題となったような処方量過多や一般社会でのオピオイド乱用事件は日本ではほとんど報告されていない 。厚生労働省や緩和ケア学会も「日本では現時点で深刻なオピオイド依存・乱用問題はほぼ存在しない」と述べている 。
歴史的にオピオイド使用が抑制されてきたため、日本ではがん疼痛治療における鎮痛薬使用が先進国より低水準と指摘されてきた 。しかし近年、医療用麻薬の製剤が次々と導入され、状況は変化しつつある。2002年にフェンタニル貼付剤、2003年にオキシコドン徐放錠が承認発売され、これらによりモルヒネ・フェンタニル・オキシコドンの三剤で切り替え治療が可能となった 。以降メサドン、タペンタドール、ヒドロモルフォンも承認され、現在日本でがん疼痛治療に使用可能な医療用強オピオイドは6成分に増えている 。これらに加え、依存性の低い弱オピオイドとしてトラマドール製剤が用いられ、中等度疼痛にも一部保険適応が広がっている 。一部製剤には乱用防止設計(例:改変防止製剤)も導入されており、薬剤師は処方時に疾患確認や服薬指導を徹底している。なお、日本では非がん性慢性疼痛に対するオピオイド使用は極めて限定的で、現時点で慢性疼痛適用が承認されている医療用麻薬はオキシコンチン®、デュロテップ®MT、ワンデュロ®パッチ、フェントステープの4製剤のみとされている 。
新規鎮痛薬ADRIANAの作用機序
京都大学医学研究科の萩原正敏教授らは、これらオピオイドとは全く異なる機序の新鎮痛薬「ADRIANA(アドリアーナ)」を発見した。ADRIANAはα2Bアドレナリン受容体のサブタイプに選択的に結合するアンタゴニストである 。通常、α2A受容体はノルアドレナリン(ノルエピネフリン)を介して脊髄の痛み抑制経路を活性化し、緊急時に自然鎮痛をもたらすが、α2B受容体は血管平滑筋などに存在して血圧上昇を仲介する。研究チームは「α2B受容体を遮断すれば、ノルアドレナリン量が増加してα2A受容体を介する下行性疼痛抑制経路が活性化されるのではないか」と仮説を立てた 。
化合物スクリーニングの結果得られたADRIANAは、マウスおよび非ヒト霊長類の脊髄でノルアドレナリンの放出を促進し、α2A依存的な鎮痛経路を活性化することが確認された 。ADRIANA投与により動物実験モデルで強力な鎮痛効果が得られ、α2B受容体欠損マウスではこの鎮痛効果が消失したことから、作用機序がα2B遮断に起因することが示された 。すなわちα2B受容体遮断 → ノルアドレナリン↑ → α2A受容体活性化 → 疼痛抑制という経路で痛みを和らげる非オピオイド薬である。
ADRIANAの非臨床・臨床試験データ
ADRIANAは非臨床試験でも優れた成果を示している。実験動物(マウス、サル)において、経口投与でモルヒネに匹敵する鎮痛効果が認められ、同時に血圧や心拍数への影響がほとんど観察されなかった 。すなわち、従来のα2A作動薬(クロニジン、デキメデトミジン)に比べ血管作用が小さく、安全性の高い鎮痛薬として期待される。
臨床試験では、京都大学病院で医師主導の第I相試験(健康成人ボランティア)と第II相試験(肺がん手術後疼痛患者)を実施し、いずれも極めて有望な結果が報告された 。これら試験でADRIANAは有効性と耐容性が良好であり、呼吸抑制や重篤な循環動態異常などの深刻な副作用は見られなかった 。例えば、第II相試験では肺がん手術後患者においてADRIANA投与群で疼痛が有意に低減し、副作用はほとんど観察されなかったと報告されている 。これらの結果から、ADRIANAは非臨床と臨床の両面で安全かつ強力な鎮痛作用を示したことが確認されている。
ADRIANAの今後の開発計画
ADRIANAは京都大学発のバイオベンチャーBTB Therapeutics(米国カリフォルニア州)が開発を進めており、今後大規模試験を計画している。現在、BTB社と協力して米国で大規模な第II相試験の準備が進められており 、同試験ではさまざまな疼痛モデル(急性痛・術後痛・慢性痛など)でのADRIANAの効果を評価する予定である。さらに近い将来、米国FDAによる治験登録や第III相試験の実施も視野に入れており、国際共同開発体制による承認取得を目指している。開発チームは「ADRIANAが慢性疼痛治療など幅広い適応において有効であるかを検証し、世界中の慢性痛患者に届けたい」と述べている 。
ADRIANAによるオピオイド課題克服の可能性
ADRIANAは従来のオピオイドが抱える問題点を克服する可能性を秘めている。まず依存性リスクの低さが挙げられる。ADRIANAはオピオイド受容体に作用しないため、従来のオピオイド依存症の原因物質(μ受容体刺激)とは無関係であり、依存性や乱用のリスクが理論上きわめて低いと期待される 。実際、臨床試験で依存症状や強い多幸感は報告されていない。さらに安全性の面では、α2B受容体遮断により血圧上昇を回避する一方で鎮痛システムを働かせるため、心血管系副作用がほとんどない 。前臨床・臨床で大血管収縮や重篤な血圧変動は確認されておらず、呼吸抑制や重度の鎮静も認められていない 。以上の点から、ADRIANAは「非依存性・低副作用・高選択性」の鎮痛薬として、従来オピオイドの短所を補える画期的な候補と位置付けられる 。
日本における薬機法上の位置づけと承認への考慮点
現時点でADRIANAの薬機法上の正式な分類は公表されていないが、オピオイド鎮痛薬には該当せず、新規医薬品(鎮痛剤)として扱われるものと考えられる。麻薬や向精神薬の規制対象外であるため、厳格な麻薬管理下には置かれないが、新有効成分として開発が進められる以上、製造販売承認にはPMDA審査に基づく臨床試験データの提出が必要となる。承認申請では、従来にない作用機序である点を踏まえ、疼痛抑制効果のエビデンスや安全性プロファイル(特に心血管系への影響、依存リスクの有無、長期安全性)を明確に示すことが求められる。現時点で公的資料には詳細な申請戦略は見当たらないが、京大チームと企業は既に薬事当局とも協議していると見られ、必要に応じて優先審査やサキガケ指定(革新的医薬品の先駆け指定)の活用なども検討される可能性がある。
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