はじめに:薬は「飲みやすさ」で変わる?
「良薬は口に苦し」という古いことわざがあります。効き目の良い薬ほど苦くて飲みにくいものだ、という意味です。しかし21世紀の今、この言葉は必ずしも当てはまりません。実際、現代の製剤学(剤形設計の科学)は、患者さんにとって飲みやすい薬を作る工夫に満ちています 。薬の形状・味・色・使い方まで、あらゆる側面で患者体験(UX: User eXperience)の向上が図られているのです。医薬品の開発は単に有効成分を見つけるだけでなく、「どうすれば患者さんがスムーズに服用できるか」というデザインの哲学を伴っています。苦い薬を我慢して飲む時代から、快適に服薬できる時代へ──本稿では、薬剤師の目線でその変遷と工夫を紐解いてみましょう。
歴史:苦い薬から始まった服薬体験改善の物語
薬のUX(ユーザー体験)改善の歴史は古く、古代エジプトの粘土玉から始まります 。古代では植物粉末を蜂蜜や油脂で丸めて丸薬を作り、飲み下しやすくしていました 。中世ヨーロッパでは、丸薬をツルツルした植物樹脂や香辛料でコーティングしたり、なんと金箔・銀箔で丸ごと覆ったりもしました 。苦味を隠し飲みやすさを追求したものの、金銀コーティングは有効成分まで封じ込めて効かないという笑えない失敗談も残っています 。
19世紀になると製剤技術に革命が起きました。糖衣錠(シュガーコーティング)が発明され、苦い薬でも表面を砂糖で覆って甘くのみやすくする工夫が広まりました 。同時期にゼラチンカプセルも登場し、粉薬や液体をカプセルに封入することで苦味や臭いを感じずに飲めるようになりました 。1843年にはブロックドンという人物が粉末を圧縮して固める「錠剤」の特許を取得し、昔ながらの丸薬から現在主流の圧縮錠への転換点となりました 。
20世紀中頃までは、錠剤といえば白く無味のものがほとんどでした 。しかし1960年代以降、薬の世界もカラフルに変貌します。合成着色料の技術が進み、カラフルな錠剤やカプセルが市場に登場しました 。1975年には軟らかいジェル状カプセル(ソフトカプセル)が実用化され、鮮やかな赤や緑、黄色など80,000色もの組み合わせが可能になったと言われます 。こうして薬は見た目にも多様性を帯び、患者さんの目に訴えるデザインが始まったのです。
剤形の違いには意味がある:錠剤・カプセル・パッチ・吸入…
医薬品には実に様々な剤形があります。錠剤、カプセル、貼り薬(パッチ)、吸入剤、シロップ、軟膏、坐剤、点眼液、注射剤…形が違うのにはそれぞれ理由があり、患者さんの使い勝手や薬効に影響します 。例えば経口薬だけ見ても、錠剤は一定の用量を安定して含み携帯もしやすい形です。一方、カプセルは中に粉末や液体を詰められ、苦味や刺激の強い薬でもカプセル膜で包むことで飲みやすくできます 。カプセルは一般に丸みを帯びており喉通りが良いため、患者は錠剤よりも飲み込みやすいと感じやすいと言われます 。
経皮吸収型のパッチ剤(貼り薬)は、皮膚からゆっくり薬を吸収させる仕組みで、一度貼れば数日効果が続くものもあります。飲み忘れがちな患者さんには週1回貼るだけのパッチは魅力的ですし、飲み薬で胃を荒らすような薬剤(例えば消炎鎮痛剤)もパッチなら胃を通らないメリットがあります。ただし貼付剤は肌がかぶれる副作用や、剥がれやすさといった課題も伴います。吸入剤は喘息やCOPDなど肺に直接薬を届ける画期的な剤形ですが、正しい吸入操作が要求されます。特に定量吸入器(MDI)はタイミング良く「シュッ」と吸わないと薬が喉に付着してしまい、多くの患者が使い方を間違えています 。使いやすさを改良した**ドライパウダー吸入(DPI)**や、吸入時にカウント表示や音が出る工夫など、こちらもUX向上の余地が大きい分野です。
また、シロップ剤やドライシロップ(粉を水に溶かすタイプ)は小児や高齢者にとって飲みやすいよう設計されています。錠剤が飲めない小さな子どもにはジュースのような甘いシロップが好まれますし、高齢者にはとろみをつけて誤嚥しにくくした液剤などもあります。近年は水無しで口中で溶ける**口腔内崩壊錠(OD錠)**も普及し、嚥下障害のある患者さんでも容易に服用できる剤形が増えました。OD錠は唾液ですぐ崩れ、苦味を感じにくいよう風味付けも施されているものが多く、薬の飲みやすさを飛躍的に改善した発明です。
剤形ごとのデザインには、薬効や安定性だけでなく「患者さんにとっての使いやすさ」が織り込まれています。例えば同じ薬でも一日3回飲む錠剤より、一日1回貼るパッチの方が断然アドヒアランス(服薬遵守率)は高まります。実際、ある調査では患者の半数以上が過去に処方薬を途中でやめた経験があり、その理由として「服用回数が多い」「薬の数が多い」ことが挙げられています 。このため製薬企業は可能な限り服用回数を減らす工夫(徐放剤や長時間作用型製剤など)を凝らし、一日一回で済む薬を増やしてきました。患者さんの嗜好調査でも、一日一回の服用スケジュールが最も好まれるという結果が繰り返し示されています 。
五感に訴える製剤設計:形・色・味・香りの工夫
薬をデザインする際、患者さんの五感への影響も重要です。まず形状ですが、錠剤のサイズ・形は飲み込みやすさに直結します。一般に丸みを帯びた小さい錠剤ほど飲みやすく、患者も小さくて丸い形を好む傾向があります 。製剤技術的にも、錠剤に滑沢剤を混ぜて表面を滑らかにしたり、カプセル形(ラグビーボール型)の「カプレット」錠にして喉越しを改善するといった工夫がされています 。実際、日本調剤の解説によれば「カプセルのような楕円形の錠剤(カプレット)は粉っぽい丸い錠剤より飲みやすい」というメリットがあるとされています 。一方で錠剤があまりに大きい場合、患者さんは喉に引っかかる不安から服用を避けがちです。錠剤の割線(スコアライン)もユーザーエクスペリエンスの一つで、錠剤を割って量を調節できるようにしたり、複数回に分けて飲みやすくするといった配慮です。
次に色と印字です。薬の色彩は単なる飾りではなく、服薬行動に影響を与えます。1960年代以降、錠剤の色付けが一般化すると「退屈な白より鮮やかなピンクの方が飲み忘れが減る」という指摘がなされました 。実際、高齢患者は似たような白い錠剤ばかりだと混乱しやすいため、色で識別しやすくすることは安全対策にもなります 。米国では患者の取り違え防止のため、処方薬とOTC(市販薬)でカプセルの色を分ける慣習も生まれました 。一方で色は心理的効果も持ち合わせます。「夜眠る薬なら落ち着いた青」「即効性の鎮痛薬なら刺激的な赤」といった具合に、色が持つイメージで期待効果を印象付ける戦略もあります 。製薬企業は錠剤の色や形状をブランドイメージとしても活用し、「Ask your doctor about the purple pill」(紫の錠剤=胃薬のネクサIUM)と広告に謳うほどです 。紫の睡眠薬よりオレンジ色の睡眠薬の方が安眠できそう、といった心理は無視できません。実際、消費者調査で「複数の薬を飲む人ほど明るい色のピルを好む」と報告されており 、色彩と服薬アドヒアランスの関連は興味深いテーマです。
そして味と香り。人間は「目で味わう」と言われますが、薬も例外ではありません 。灰色の錠剤を口にする時、なんとなくカビ臭い味を想像してしまうかもしれません。一方、ピンク色の錠剤なら甘く感じそうだ、という無意識の先入観があります 。色だけでなく実際の味そのものも重要です。特にシロップ剤や口中で溶けるOD錠では、甘味や香料で苦味をマスキングします。子供向けの抗生物質シロップがイチゴ味やバナナ味なのは定番ですね。錠剤の場合も、コーティング技術で苦味や臭いを遮断できます。例えばフィルムコーティングは錠剤表面を薄膜で覆い、舌が薬の成分に触れないようにします。これにより「苦くない」「喉に引っかからない」「粉っぽくない」という利点が得られます 。実際、錠剤をコーティングすると滑らかな表面になり嚥下しやすさが向上し、さらに色付けや印字もしやすくなるため薬剤識別にも役立ちます 。コーティング層は100μm程度とごく薄いため、錠剤の大きさ自体はほとんど変えずに飲みやすさだけ高めることが可能です 。
臭いについても、工夫次第で患者体験は劇的に改善します。例えば整腸剤の正露丸は有名な“胃腸薬だけどクレオソート臭が強烈”な黒い丸剤です。その独特な臭気のせいで「効くけど臭くて嫌だ」と敬遠する患者さんもいました。メーカーはこの課題に応え、表面を白い糖衣でコーティングした**「セイロガン糖衣A」**を発売しています。糖衣Aは成分は同じでも匂いを感じない白色錠剤で、正露丸特有のツンとした臭いに抵抗がある人でも飲めるようになりました 。このように、薬の剤形デザインには味覚・嗅覚への配慮も不可欠なのです。「良薬は口に苦し」ではなく、「良薬でも口当たり良く」服用できるようにする──それが現代の製剤学の目標と言えるでしょう。
四種類の色の錠剤(オレンジ、ピンク、青緑、白)。錠剤の色や形状は、患者の識別や心理に影響を与える重要な要素だ 。
「飲みづらい薬」はこうして生まれる:UX成功例と失敗例
どんなに優れた薬効を持つ薬剤でも、患者が敬遠して飲まなければ効果は発揮されません。歴史上には「薬理的には良い薬なのにUXのせいで失敗した例」も数多く存在します。その代表格が前述の苦すぎる薬でしょう。抗生物質が発明された当初、ペニシリン液はとてつもなく苦く、患者は服用に難渋しました。後にシロップ化やカプセル化で改善しましたが、初期にはまさに「苦すぎて飲めない良薬」でした。また、喘息治療に画期的だった吸入ステロイドも、吸入器の使い方が難しいために一部患者には「使えない薬」になってしまいました。ある研究では、小児喘息患者の**81%**が定量吸入器(MDI)の使用手順を誤っていたとの報告があります 。浅い呼吸で吸ってしまったり、息を止める時間が短すぎたりといったミスで、有効成分が十分肺に届いていなかったのです 。これはデバイス設計側のUX課題と言えます。現在では、1回ワンプッシュで済む吸入器やスペーサーの併用、デジタルガジェットで吸入手技をサポートする試み など、失敗から学んだ改善策が取られています。
他にも、患者が嫌がる要因として剤形の煩雑さがあります。例えばリウマチ治療薬メトトレキサートは週に一度まとめて複数錠を飲むレジメンですが、一度に15錠以上も服用するケースでは「飲むだけでお腹いっぱい」と感じる患者もいました(実際、メトトレキサートは現在自己注射のペン製剤が開発され、錠剤を大量に飲む負担を軽減しています)。大型で喉に引っかかる錠剤も敬遠されがちです。サプリメントのカルシウム錠剤などで俗に「ホースピル(馬用みたいに大きな錠剤)」と呼ばれるものがありますが、人によっては嘔吐反射を誘発し、飲むのを諦めてしまうこともあります。このようなUXの失敗例から学び、製剤設計者たちは錠剤径を小さくする工夫(含量を濃縮する、複数回服用に分ける等)を行ったり、どうしても大きい場合はコーティング技術で滑りを良くする対策を取っています 。
一方、UXの成功例も数多く存在します。前述した口腔内崩壊錠(OD錠)は日本で大成功を収めたUX改善策です。水無しで服用できるため外出先でも便利で、嚥下障害のある高齢者にも喜ばれています。結果としてOD錠は多くの薬で採用され、患者さんから「この薬は口どけが良くて飲みやすい」と高評価を得ています。また、糖尿病患者のインスリン投与もUXが劇的に向上した分野です。従来は注射器で毎日自分で注射する必要がありましたが、現在ではボールペン型のインスリンペンや貼るだけのインスリンパッチの開発が進んでいます。インスリンペンは一見医療器具に見えずスマートで、患者の心理的ハードルを下げる狙いがあります (実際「注射器で人前で注射」は抵抗がある人も、ペン型なら職場や学校でも使いやすいとの声があります)。皮下埋め込み型のマイクロポンプなど、将来的には患者が投与の煩わしさを感じないデバイスも登場するでしょう 。このように、ユーザーフレンドリーな薬ほど患者の支持を集め、結果として治療成績(アドヒアランスと有効性)も向上する好循環が生まれています 。
患者中心の製剤設計へ:UX志向の高まり
近年、医薬品開発において**患者中心(Patient-Centric)**の考え方が強調されるようになりました。従来は薬の設計というと「有効性と安全性」が最優先され、患者の使いやすさは二の次になりがちでした 。しかし、いくら効果が高くても患者が使いこなせなければ意味がありません。米国FDAも「Patient-Focused Drug Development(患者中心の医薬品開発)」ガイダンスを発出し、患者視点の取り入れを推奨しています 。製薬企業でもUXデザイナーやヒューマンファクターの専門家を開発に招き、患者インタビューやユーザビリティテストを行う例が増えています 。例えば注射デバイスでは「針が見えると怖い」という声から、針が見えないペン型デザインが生まれました。また高齢者や障がいのある方にも直感的に使えるよう、インターフェースをシンプルにし、誤操作を防ぐ工夫が凝らされています 。
患者参加型のデザインも重視されています。治験や市販後に患者から寄せられた「この薬大きすぎて飲みにくい」「包装が開けづらい」といった声は、次の製剤改良に活かされます。近年は「ユーザー視点の包装(PTPシートでも押し出しやすい工夫)」や「誤飲防止キャップ」などパッケージ面でのUX改善も進んでいます 。さらにデジタル技術との融合も注目されています。例えば、ある吸入器にはBluetooth機能を持たせて、吸入の日時をスマホアプリで記録・指導するシステムが登場しています。ピルボックスにセンサーを付けて服薬忘れを通知するIoTデバイスも市販化されました。これらは薬そのものではありませんが、患者の薬体験をトータルで支援する新しいUX施策と言えるでしょう。
患者中心の製剤設計が求められる背景には、服薬アドヒアランスの向上が大きな課題となっていることがあります。WHOによれば、慢性疾患患者の50%以上が指示通りに薬を服用できていないとも言われます 。その原因の一部は剤形の不適合や使いにくさにあります 。したがって「患者に受け入れられる製剤」(Acceptable Medicines)を開発することが、医療費削減やアウトカム向上にも直結します 。製薬業界は今や薬の効果効能だけでなく、患者体験(UX)そのものを改善する戦略を掲げる時代となったのです。
薬剤師の役割:製剤の工夫を活かす架け橋として
こうした「飲みやすさ」「使いやすさ」の工夫を最も身近で患者さんに伝えているのが、私たち薬剤師です。薬剤師は調剤や服薬指導の場面で、製剤設計に込められた意図を汲み取り、患者さん一人ひとりに合わせたアドバイスを行っています。「この薬は苦いけど糖衣でコーティングされているので、噛まずに飲めば味は感じませんよ」「錠剤が大きくて飲みにくければ、水を多めにして顎を引いて飲んでみてください」「どうしても難しければ剤形の変更も検討できます」といった具合に、薬剤師はプロの知識で患者さんの服薬体験をサポートします。
例えば高齢の患者さんが「この錠剤は喉につかえて飲みづらい」と訴えれば、薬剤師は医師に相談してOD錠やシロップ剤への変更を提案できます。また、小児にはシロップや坐剤、パッチなど年齢に適した剤形を選ぶ重要性を説明し、保護者に飲ませ方のコツを教えるのも薬剤師の役目です(「ほら、いちご味のシロップだよ」と子供に安心感を与える一言も大切ですね)。服薬指導の現場では、薬剤師はしばしば「この薬はこうすると飲みやすい」という小技を伝授します。たとえば苦い粉薬はオブラートに包む、アイスで舌を冷やしてから飲むと苦味を感じにくい、錠剤はスポーツドリンクと一緒だとスッと飲める等、患者さんに合わせた工夫を提案します。薬剤師はまさに患者と製剤デザインとの架け橋であり、薬のUXを最後の最後で調整する役割と言えます。
おわりに:製剤学×UXが拓く未来
さらに、薬剤師は患者さんからフィードバックを集めて製剤改良につなげる存在でもあります。薬局で「この包装フィルム硬くて開けづらい」という声があればメーカーにフィードバックし、後に改良版パッケージが出ることもあります。「飲みにくい」というリアルな声を最初に聞くのは現場の薬剤師です。それを製剤設計者に届けることで、次世代の薬がよりユーザーフレンドリーになるサイクルが回ります 。医薬品業界全体で見れば、薬剤師はUX向上チームの一員とも言えるでしょう。
「製剤学はUXだ」という視点で薬を見ると、普段何気なく飲んでいる錠剤一つにも物語が感じられます。錠剤の大きさ、色、コーティング、味、剤形の選択……それら全てに患者への思いやりが込められているのです。薬剤師・薬学生の皆さんは、ぜひ薬の裏にあるこの「患者体験の哲学」に注目してみてください。薬をただ渡すのではなく、「この薬は飲みやすい工夫がされていますよ」「こういう理由でこの形なんですよ」と一言添えるだけで、患者さんの安心感や服薬意欲は大きく変わります。
最後に、未来の話を少し。技術の進歩により、いずれ薬は「飲む・貼る・吸う」から、体内に埋め込んだデバイスが自動で放出するといった形に変わるかもしれません 。しかし、どんな未来になっても患者の体験を最優先に考える姿勢は不変でしょう。苦い薬を甘くする工夫から始まった人類の製剤学の歴史は、これからも患者に寄り添う物語を紡いでいくに違いありません。服薬指導の現場にいる薬剤師としても、「患者さんが笑顔で薬を飲めること」が何よりのゴールです。製剤学×UXの追求は、患者さんの笑顔と健康という最高の成果につながっていくでしょう。


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