前回、ジェームズ・ブラックとICIのチームは、最初のβ遮断薬pronethalolが示した不完全な成功を、次の化合物を選ぶ基準へ変えた。
その反復からpropranololが生まれた。狭心症の心臓へ酸素を足すのではなく、心臓の仕事を減らす。Ahlquistの受容体分類を、測定できる化合物の問いへ変える。化学者、薬理学者、臨床家、企業の開発部門がつながり、一つの研究計画が薬になった。
ここで普通なら、成功を大きくする仕事へ進むだろう。
ところが1964年、ブラックはICIを離れた。次に向かったのは、propranololより成功の確率が高い計画ではなかった。標的にした受容体は、まだ存在が確定していない。遮断薬はない。どの構造から始めればよいかも分からない。薬になるまで何年かかるか、それ以前に薬へ届くかさえ読めない。
その研究を、新しい会社で始めようとした。
今回の主役は、後に発売されるcimetidineではない。完成薬の名前から歴史を逆算すると、探索は最初から正しい道を歩いていたように見えるからだ。
追うのは、答えが何も見えていない段階である。
なぜブラックは成功した会社を離れたのか。なぜSmith Kline & French、SK&Fは不確実な問いに人と時間を置いたのか。そして、約200の化合物を作っても手掛かりをつかめなかったチームは、なぜ化合物だけでなく「測り方」の方を疑えたのか。
薬が生まれる前には、会社がまだない答えを待つ時間がある。
1. 成功作を残して、会社を出る
ブラックが胃酸分泌へ関心を持ったのは、propranololの後に突然始まったことではない。
グラスゴー大学で生理学を教えていた1950年代、外科医Adam Smithらと、5-HTやその前駆体が胃酸分泌にどう関わるかを調べていた。ここでH2受容体を発見したわけではない。だがブラックの中には、心臓とは別に、胃酸分泌を何が制御しているのかという問いが残っていた。
当時、histamineが胃酸分泌を刺激することは知られていた。ところが、アレルギー反応などに使われる従来の抗histamine薬を投与しても、その胃酸分泌は十分に止まらない。
同じhistamineの作用なのに、片方は遮断でき、片方は遮断できない。
受容体が一種類しかないのなら、説明しにくいずれだった。
ブラックは、従来の抗histamine薬が遮断する受容体とは別の受容体があるのではないかと考えた。心臓で使った「生体内の刺激を受け取る場所を分け、その一つを選択的に遮断する」という方法を、胃酸分泌へ移そうとしたのである。
しかし、β受容体の研究を始めた時より条件は厳しかった。
β受容体にはAhlquistの分類があり、出発点になる遮断化合物もあった。次の計画には、それに相当する確かな足場がない。受容体そのものを直接見る方法もなく、遮断薬がなければ、その受容体が独立して存在することを薬理学的に示すのも難しい。
ブラックは後年、この計画を成果も期間も読めないblue-sky researchだったと振り返っている。そして、その研究に必要な資金を得るためには、別の製薬会社へ移る必要があったと述べた。
これは後年の本人による説明である。ICIの会議室で誰が何と言ったのか、退職を決めた理由が一つだけだったのかまでは分からない。「ICIがH2計画を一度の会議で拒絶したから、ブラックは辞めた」と単純化することはできない。
確かに言えるのは、propranololの成功を拡張する道より、成果の見えない別の問いへ進むため、ブラックが環境を変えたことである。
2. SK&Fが迎えたのは、完成薬ではなく問いだった
移籍先のSK&Fには、先に一人のICI出身者がいた。
病理学者George Pagetである。Pagetは1963年にSK&Fの英国研究所を率いる立場につき、ブラックを薬理部門へ、William Duncanを生化学部門へ迎えた。DuncanもICIでβ遮断薬研究に関わっていた人物だった。
1964年、SK&Fの英国チームは、histamine receptorが一種類ではないことを確かめ、従来薬で止められない作用を遮る物質を探す計画を始めた。
この時点で会社が手に入れたのは、cimetidineの設計図ではない。
あるのは、別の受容体が存在するはずだという仮説と、受容体に結合して刺激する物質に似せながら、刺激は起こさない分子を作るという方針だった。候補化合物も、臨床試験の予定も、発売時期もない。
会社はしばしば、研究の物語では建物や資金の名前に縮められる。天才が発想し、企業は費用を払っただけ、という構図である。
だが、この計画では「待つこと」自体が企業の仕事だった。
研究者を集め、化合物を作り、動物や摘出組織で反応を測り、結果が出なくても次の試験を許す。いつまで待つかを判断し、計画が終わりかけた時にも、結論を急がず研究を続ける時間を確保する。その時間を組織が持たなければ、仮説は薬理学の問いのまま終わる。
Pagetが採用の入口を作り、Duncanが研究を支えた。ブラックは問いと薬理計画を持ち込んだ。だが、見えない受容体を化合物へ変えるには、さらに別の専門が必要だった。
3. 見えない鍵穴から、鍵を作る
化学側にはGraham Durant、C. Robin Ganellin、John Emmettらが加わった。薬理側ではMichael Parsonsが、作られた化合物の作用を測った。
彼らが始めたことを「合理的創薬」と呼ぶと、いまでは整然とした作業に聞こえる。
標的を決める。標的の立体構造を調べる。コンピューター上で候補を選ぶ。結合を確かめ、最適化する。
しかし1964年のH2計画に、そんな地図はなかった。
受容体の構造は見えない。結合部位も分からない。そもそも独立した受容体があるという主張を、遮断薬なしでどう確かめるのかという循環がある。
そこでチームは、身体にもともと存在するhistamineそのものから出発した。histamineに似ていれば、未知の受容体に認識される可能性がある。その一方で、受容体を刺激する性質だけを減らせれば、拮抗薬へ近づくかもしれない。
リングを変える。側鎖を延ばす。guanidineやisothioureaの性質を利用する。化学者が構造を変え、Parsonsらが反応を測り、その結果が次の合成へ戻る。
最初の変化は、すぐには拮抗薬を生まなかった。
一部の化合物は、histamineの作用を選択的に再現するagonistとして働いた。これは無駄ではない。従来薬が遮断する反応と、胃酸や心臓で残る反応が同じ受容体によるものではないことを切り分ける手掛かりになるからだ。
だが、治療薬へ進むには刺激する化合物では足りない。必要なのは、histamineと同じ場所へ近づきながら、反応を起こさず、histamineの作用を邪魔する化合物だった。
チームは作り続けた。
4. 約200の化合物が沈黙した
約4年が過ぎた。
Ganellinは後年、leadへたどり着くまでに約200の化合物を作ったと記している。これは200個すべてが何の作用も持たなかった、という意味ではない。刺激作用を示したものもあった。別の性質を教えたものもあった。
それでも、未知の受容体を遮る有用な手掛かりとして認識できるものは見つからなかった。
完成後の歴史では、ここが短くなる。
「histamineを基に構造を変え、burimamideを発見した」。一文で書けば、合理的な設計が予定どおり成果を出したように見える。
しかし、約200という数字が示すのは、正しい仮説と正しい化合物の間にある距離である。
研究計画が間違っているのかもしれない。別の受容体など存在しないのかもしれない。存在しても、histamineに似た分子から遮断薬は作れないのかもしれない。あるいは、候補はすでに作られているのに、試験がその作用を拾えていないのかもしれない。
結果が出ない時、会社はどの失敗を見ているのか判断しなければならない。
化学の失敗か。薬理仮説の失敗か。測定の失敗か。それとも、単に時間が足りないのか。
SK&Fの計画には中止の影が近づいた。後年の公式史は、Duncanが低迷期と計画閉鎖の危機にあって研究継続を支えたと記している。ただし、誰がどの会議で最終決裁したのかは確認できない。
大切なのは、英雄的な一人が会社を説得したという場面を作ることではない。
化学者は構造を変え続けた。薬理学者は測定結果を見直した。研究責任者は、まだ結論を出さない時間を確保した。計画を続けた主体は、その分業全体だった。
そしてチームは、次の化合物を作る前に、すでに作った化合物を別の方法で見ることにした。
5. 疑われたのは、分子ではなく測り方だった
初期の試験では、候補化合物を投与した時に胃酸分泌がどう動くかを見ていた。
問題は、弱い遮断作用と刺激作用を併せ持つ化合物である。
化合物自身が胃酸分泌を刺激すれば、拮抗作用を持っていても「刺激する物質」として見える。遮断が短時間しか続かなければ、測定のタイミングによって消えてしまう。探している作用が小さいほど、試験の設計が結果を決める。
年月の間に、screening assayは変えられた。
histamineを持続的に静脈内へ入れ、ほぼ最大の胃酸分泌を安定して作る。その背景に対し、新しい化合物を少量から段階的に増やして投与する。こうすれば、短い時間だけ現れる小さな抑制も見つけやすい。
Parsonsは、過去に調べた化合物を新しい設計で見直した。
その中にNα-guanylhistamineがあった。Durantが計画の早い段階で合成し、最初の試験ではhistamineに似た刺激作用を示したため、拮抗薬のleadとしては見落とされていた化合物である。
新しい試験で、それはhistamineによる分泌をわずかに、約5%抑えた。
数字だけを見れば、小さい。
だが、ゼロと5%の間には、研究計画を変えるほどの差があった。
その化合物は、受容体を刺激する力を残しながら、同時にhistamineの作用を邪魔していた。完全なagonistでも、完全なantagonistでもない。部分作動薬として理解できる反応だった。
ここで見つかったのは薬ではない。
「histamineに似た分子の刺激する力をさらに下げれば、遮断する性質を前面へ出せるかもしれない」という化学の方向だった。
Ganellinら化学チームが待っていたのは、この小さな方向標だった。
側鎖を変え、guanidineとisothioureaを比べ、鎖の長さと結合の性質を動かす。ある構造はratの胃では遮断しても、catやdog、guinea pigの心臓では強く刺激した。組織や動物が変われば、同じ分子の顔も変わる。
一つの試験で良かったから正解、ではない。刺激を減らし、遮断を残し、別の組織でも同じ受容体を説明できるかを確かめる。
その反復の先で、burimamideへたどり着いた。
assay変更だけがburimamideを作ったのではない。Durantの初期化合物、Emmettの別系列の手掛かり、Ganellinらの構造活性探索、Parsonsの薬理評価、Blackの受容体仮説がつながった結果だった。
合理的創薬とは、最初から正しい構造を描くことではない。
分子が答えない時に、問い方まで作り直すことである。
6. 薬になる前に、受容体が見えた
burimamideは、すぐに処方できる完成薬ではなかった。
経口投与で治療薬として使うには、活性と吸収の組合せが不十分だった。後のcimetidineから歴史を振り返れば、burimamideもまた「途中の失敗作」に見える。
しかし、この化合物が果たした役割は大きい。
1972年、Black、Duncan、Durant、Ganellin、Parsonsは、histamine H2 receptorの定義と拮抗について共同で報告した。同じ年、burimamideによるH2遮断はヒトでも調べられた。
彼らが受容体蛋白そのものを目で見たわけではない。
異なる組織でhistamineが起こす反応を比べ、従来のH1遮断薬では止まらない反応をburimamideが競合的に抑える。その濃度と反応の関係を積み上げ、同じ性質を持つ受容体として説明する。
見えない受容体を、薬理学的に測れる対象へ変えたのである。
ここが、この物語の終点だ。
会社が待っていたのは、最初からcimetidineではなかった。まず必要だったのは、まだ存在が確定していない標的に対し、化学と測定の反復が届くことを示す化合物だった。
burimamideは薬として不十分だったが、計画が間違っていないことを示した。約200の沈黙を、次の化学へ進める言葉に変えた。
その先で、チームは経口活性を高めたmetiamideへ進んだ。metiamideは治療薬へ大きく近づいたが、稀な無顆粒球症という重大な問題が現れた。さらにthiourea部分を別の構造へ置き換える探索から、cimetidineが生まれ、1976年に英国で発売された。
ただし、その後日譚をブラック一人の成功として閉じることはできない。ブラックは1973年にSK&Fを離れている。化学、薬理、毒性、臨床、製造を担った多くの人が、burimamideの先を薬へ運んだ。
シメチジンが潰瘍治療と手術の位置づけをどう変え、その後PPIやH. pyloriの発見へ歴史が続いたかは、別の記事でたどれる。
ジェームズ・ブラックの第3回で残るのは、完成薬の名前ではない。
成功した研究者が、答えのない問いへ移ったこと。会社が、結果の出ない時間を引き受けたこと。化学者と薬理学者が、分子だけでなく測定系も疑ったこと。そして、小さな5%の抑制を、次の設計へ進む根拠に変えたことだ。
創薬を前へ進めるのは、正しい答えを知っている人とは限らない。
何が間違っているのか分からない時に、化合物、測定、組織の三つを同時に作り直せるチームである。
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『新薬という奇跡 成功率0.1%の探求』は、新薬が一つのひらめきだけで生まれるのではなく、成果の見えない探索、失敗、安全性問題、組織の判断を経て医薬品になる過程をたどる創薬史です。約200の化合物が答えを示さない時にも、問いと測り方を作り直して進む研究の営みを、さらに広い歴史の中で読みたい方に向いています。
※本稿は薬の開発史を扱うもので、個別の診断・治療・服薬判断を示すものではありません。
写真:Wellcome Library, London / Wellcome Foundation Archive(原画像、CC BY 4.0)。ヤクマニドットコムがトリミング・色調整・背景拡張・図形追加を実施。


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